奈良市西部から茶筌の「高山」辺り  その6

 金鵄(きんし)飛来の伝承地

 「王龍寺」からちょっと北の「あすか野」住宅地を通って東へ出て、富雄川を渡り、バス停「出垣内」の直ぐ南から東側の山へ入ると、木立の中に「神武天皇聖蹟鵄邑(せいせきとびノむら)顕彰碑」が建っています。ここは、今から二千六百六十余年前、神武天皇東征時、長髓彦(ながすねひこ)と戦った激戦地で、時に一天にわかにかき曇り、雹(ひょう)も降り出す悪天の中、何処からか金色の鵄が飛来し、天皇の弓の先に止まりました。その為、目が眩んだ長髓彦は遂に討たれて、ここで神武東征が成り、大和が平定された聖蹟です。よって、この地を鵄邑(とびノむら)と呼び、それが訛って鳥見(とみ)、富雄となりました。
 圓證寺(えんしょうじ、TEL 0743-79-1170)

 バス停「出垣内」から「富雄川」沿いに北へ行き、四つ角を右(東)へ折れ、「県立北大和高校」の方へ坂を上って行くと、道路の右側に真言律宗「圓證寺」があります。890年頃(寛平年代)大和筒井庄(現大和郡山市筒井)に創建され、後に戦国武将の筒井順昭が筒井氏の外館とした奈良市林小路町(現奈良ビブレ)に営んだ別院で、1550年(天文19年)順昭が没した後、息子の順慶が寺に改め、父順昭の菩提寺として寺籍を移し、昭和60年寺域周辺の市街地高層化による公害騒音震動等の被害が出て、文化財保護継続のため生駒市の現在地に遷寺し、復旧された重文の「本堂」は、室町末期の特色をよく現した仏堂です。
 圓證寺の重文「石造五輪塔」

 「圓證寺」の簡素な重文の「本堂」には、鎌倉時代中期、定朝の作と伝える本尊「釈迦如来坐像」が左脇侍「普賢菩薩騎象像」と右脇侍「文殊菩薩騎獅像」を従え、脇侍は共に重文、平安時代前期と後期の作で、三尊そろって須弥壇上に安置され、他に平安時代作の「不動明王像」、鎌倉時代作の「千手観音像」、また「空海像」も安置されていなす。なお、「本堂」の直ぐ右横に花崗岩製で高さ2.6m、重文の「石造五輪塔」が壇上積基壇上に建っていますが、地輪部に「順昭栄舜坊、天文十九年(1550年)庚戌六月廿日」の刻銘があり、この五輪塔が「円證寺」旧寺地の当主であった筒井順昭(筒井順慶の父親)の供養塔です。
 圓證寺「石庭(雪山の庭)」

 なお、「本堂」の斜め前が、昭和60年遷寺の時に新築された「奥書院(客殿、至聖坊)」で、その一間には、1585年(天正13年)筒井定次(順慶の養子)が伊賀の城主になって集めた古伊賀と云う伊賀焼の真髄を伝える名作を陳列した室が設けられ、また、「客殿」の前面が「石庭(雪山の庭)」です。庭の名は、お釈迦さんが生まれた印度の仏跡ルンビニーへの道すがら千古の白雪を頂いて天空に聳えるヒマラヤに因んで名付けられ、石は台湾の奥地花蓮山より先住民の協力によって運び出された「古たん石」で、長い間深い水底で侵蝕された奇石です。そして、中央「雲珠砂」の上の石は、印度「霊鷲山」より到来しました。
 長弓寺(TEL 0743-78-2437)の大門

 「圓證寺」から坂を下りて西へ戻り、また富雄川に沿って北へ進むと、バス停「出垣内」の次が「安養寺橋」で、右側の緩やかな石段を上がった山門の斜め前に弘化4年(1847年)の銘がある大きな地蔵さんが立っている融通念仏宗・正覚山「安養寺」ですが、更に北へ行くと、バス停「真弓橋」に「伊弉諾神社」の石碑と鳥居が建ち、真言律宗真弓山「長弓寺」の参道が伸びています。「大門」を潜ると、左に「宝光院地蔵堂」が建ち、更に参道を進むと左側に「蓮池」があり、池を廻って北へ進み、石段を上がると、正面が1279年(弘安2年)に再建された国宝の「本堂」で、蟇股(かえるまた)の蓮の模様が目を引きます。
 長弓寺の国宝「本堂」

 「長弓寺」の創立については、諸説がありますが、「小野氏系図」によると、728年(神亀5年)富雄辺りの豪族で、小野の真弓長久(まゆみながひさ)が世嗣で養子の長麿(ながまろ)を連れて、聖武天皇のお供をし、狩りに行った時、森から怪しい鳥が飛び出したので、これを追って、長麿が矢を放つと、あやまって矢が父の長久に当たり、父が命を失ってしまいました。長麿は、これを嘆き、ただちに出家すると、妻の白菊姫も剃髪(ていはつ)して円生芳尼になりました。そこで聖武天皇も悼く哀しまれて、勅願し、行基が本尊「十一面観音像」を彫って、さらに御堂(長久寺または長弓寺)を建立して、本尊を安置しました。
 伊弉諾(いざなぎ)神社

 「長弓寺」境内東側に鎮座するのが「伊弉諾神社」です。当神社は、第45代聖武天皇の勅願によって、「長弓寺」の守護神として建立されました。祭神に、伊邪那岐命(いざなぎノみこと)、素盞鳴命(すさのおノみこと)、大己貴命(おおなむちノみこと)の3柱を祀り、素盞鳴命を祀るので「牛頭天王(こずてんのう)社」とも称せられ、神職は、長弓寺の僧の中の第一揩フ人が継承されて、毎年9月11日に例祭が行われています。また、「長弓寺」の境内の西側には、「宝光院」「法華院」「円生院」、東側に「薬師院」と云ういずれも真言宗の4寺院が並んでいますが、昔は「伊弉諾神社」の南側に「塔」も建っていました。




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