二上山の麓、當麻の里  その9

 二上山(にじょうざん、標高517m)

 近鉄「當麻寺駅」から西へ「當麻寺」へ向う時に、寺院の背に見えるのが「二上山」で、「金剛生駒紀泉国定公園」の中にあって、金剛・葛城山系の北端に位置し、奈良県と大阪府の県境にあり、今から1500万年前(地質時代の新生代第三紀中新世)に火山活動で生成され、二つの峰からなるトロイデ式の山で、南側の低い方が雌岳(めだけ、標高474.2m)、北側の高い方が雄岳(おだけ)です。雌岳と雄岳の二つの峰の間(馬の背)に沈む夕日が、古代から人々に深い感銘を与え、その美しい山容が大津皇子の葬られた悲しい歴史を秘め、姉の大伯皇女の想いと相俟まって、二上山を見る人の胸に鮮烈な印象を与えて来ました。
 国宝で日本最古の「梵鐘」

 「當麻寺の仁王門(東大門)」を入って、直ぐ目の前に建つのが「鐘楼」です。中に吊り下げられている国宝の「梵鐘」は、白鳳時代に鋳造され、青銅で高さ152.9cm、上帯に鋸歯文、下帯に忍冬唐草文を陽刻する。境内を更に進むと、左右に「塔頭寺院」が建ち並び、その間に「金堂」「講堂」が東西一直線上に並び、金堂の南が「中之坊」「護念院」「西南院」で、その背後一段高い所に東西2つの「三重塔」が建ち、古代に建てられ、東西両塔が現在も完備しているのは我が国で「當麻寺」だけです。また、金堂の他に「曼陀羅堂」とも呼ばれる「本堂」や、境内の外には「薬師堂」等が独特の伽藍配置で建ち並んでいます。
 當麻寺の「御来光の松遺跡」

 「鐘楼」の横を通って真っ直ぐ進むと、「金堂」の手前に柵で囲まれた中に枯れた巨松の切り株があり、傍らの石に「ごらいこうの松」と記してありますが、1684年(貞享元年)俳聖の松尾芭蕉が「野ざらし紀行」で竹ノ内出身の門人、苗村千里の故郷に数日間滞在し、そのおりに「當麻寺」へ詣でて詠んだ句が、

 僧朝顔 幾(いく)死かへる 法の松   芭蕉翁

ですが、その時の青々とした松の姿はもう見られないけど、芭蕉が詠んだ「法の松」は、「御来光の松」の事で、数十年前までは勢い良く青々としていました。
 當麻寺の国重文「講堂」

 「御来光の松」の斜め右(北)の一段高い基壇上に「講堂」が建っています。建立年代ははっきりしないけど、棟木の墨書から1303年(乾元2年)の再建で、桁行七間、一重寄棟造本瓦葺、なお、解体修理の際に地下から灰が検出し、前「講堂」が焼失した事が判っています。堂内の内陣には低い床を張り、木造の須弥壇中央に藤原時代の作で、寄木造、丈六で重文の本尊「阿弥陀如来坐像」が安置され、更に普通の僧形で重文の「妙幢菩薩」と伝える木造仏立像も安置されています。また、「講堂」の直ぐ北側には「北門」が建っていて、南側には「金堂」が建ち、共に南面する「金堂」と、それぞれ南北一直線上に並んでいます。




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