二上山の麓、當麻の里  その17

 葛木「二上(ふたかみ)神社」

 「二上山ふるさと公園」を出ると、目の前が道の家「當痲の家」、その前を北へ進んで集落で突き当り、左へ行くと「二上神社」があります。境内へ入って、石段を登ると中に絵馬の掛かった「拝殿」があって、拝殿の裏に「葛木二上神社」、「葛木倭文座天衣雷命(かつらきしとりにいますあめノはかづちノみこと)神社」、「加守(かもり、掃守)神社」の3社が鎮座し、延喜式内大社「葛木坐二上神社」は二上山雄岳の頂上にもありますが、祭神は豊布都霊神(とよふつノみたまノみこと、建御雷神)と大国御魂神。古事記に出てくる豊布都霊神は、春日大社の祭神で日本書紀の武甕槌命(たけみかづちノみこと)と同一の神です。
 二上山雄岳の「大津皇子二上山墓」

 「二上神社」の横の道は、東から「二上山」へ登る登山道で、かなり急な坂道を1時間ばかり掛けて登ると、「二上山の雄岳(標高517m)」の頂上に至り、左側から回り込むと宮内庁が管理する「大津皇子二上山墓」です。大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられ、妃の山辺皇女は、髪振り乱し、裸足で駆けつけ、夫の死骸に取りすがって泣きじゃくり、彼女も哀れにも悲嘆の内に、はやり後追い自殺をしました。
 二上山雌岳の「日時計」

 「二上山の雄岳」から南側の「馬の背」へ下って、また上がると「二上山の雌岳(標高474m)」で、頂上に大きな日時計があります。ここは、北緯34度32分の線上に近接し、大和三輪山麓にある「箸墓」を中心に、西から淡路島の「伊勢の森」、海を渡って堺市の「大鳥神社」、そして大和に入って「二上山」「箸墓」「三輪山」と続き、伊勢では「斎宮跡」、また海を渡って伊勢湾の「神島」まで、太陽崇拝および山岳信仰と何らかのつながりがある古代祭祀遺跡が並ぶ「太陽の道」の上にあって、昭和55年2月11日にNHK総合テレビの「知られざる古代」で紹介され、その記念のモニュメントに日時計が設置されました。




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