二上山の麓、當麻の里  その11

 當麻寺の国宝「西塔(三重塔)」

 また、「金堂」の所まで戻り、「護念院」の門前を通って、その角を曲がると、石段を上がった正面に、東塔から約50mほど離れて、やはり基壇上に国宝の「西塔(三重塔)」が見えています。東塔よりは少し高く、総高24.81m、よく見たら建築様式は随所に違いがあります。建立の年代は、こちらも不明ですが、東塔よりも少し下り、平安時代の末期1180年(治承4年) 平重衡の南都攻略によって焼失した後、鎌倉時代に源頼朝によって再建されたので、東塔よりも新しい様式が見られ、こちらは和様式で、穏やかで雅さを感じさせて、後世の和様三重塔婆の基本形とも云われている名塔で、大正2年に解体修理が行われ、今に至っています。「相輪」はこちらも八輪ですが、「水煙」は唐草模様で構成された方形の先端に宝珠状の火焔(かえん)を配した形の見事な物です。また、二・三層は東塔と異り、柱間が方三間になっていて、天井が組入で、初層の内部に心柱が通り、その周りに仏画を描いた板囲いが施されて、四天柱があります。
 當麻寺の国宝「本堂(曼陀羅堂)」

 當麻寺の「本堂」は「金堂」の西側で、「東大門」を入り境内を奥へ進んだ時、正面に見える建物です。当寺信仰の中心をなすお堂で、建立は、外陣の棟木に永暦二年(1161年)の銘があるので平安末期ですが、内陣の各部分に天平時代の遺構を残して、桁行七間、梁間六間、一重寄棟造本瓦葺、本尊は内陣正面の国宝「当麻曼陀羅厨子」にかかっている重文「浄土曼陀羅絹本著色掛幅(文亀曼陀羅図)」で、16世紀初頭に伝法橋慶舜が原本を模写し、原本は「中将姫」が百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、井戸に浸して五色に染め、その蓮糸を使い、一夜にして織り上げられた一丈五尺(約4m四方)の「綴織當麻曼陀羅」です。
 当麻寺奥院(TEL 0745-48-2008)

 「本堂(曼陀羅堂)」の背後(西側)の高所に當麻寺の塔頭の1つ、法然上人二十五霊場第九番、當麻寺「奥院」があります。当院の直ぐ南西に麻呂子山(標高215m)が聳え、県文化の「本堂(御影堂)」の背後には「二上山」も見えます。当院は、1370年(応安3年)知恩院第十二世誓阿(せいあ)上人が開創された「往生院」に始まり、ご本尊は、誓阿上人が知恩院から移安された「宗祖円光大師(法然)坐像」ですが、法然上人自ら48度開眼された尊像で、誓阿上人の夢告の「血垂れの御影」です。なお、寄棟造本瓦葺の「本堂」は、1745年(延享2年)上棟で、「方丈」は、1612年(慶長17年)の上棟です。




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