大和高田市  その7
 石園坐多久虫玉神社(TEL 0745-52-6855)

 また、高田川の大中橋を渡って川沿いに南へ向い、左下に「高田高校」の校庭を見て、大きく左へ曲がりながら近鉄南大阪線と平行に東へ向うと、国道24号線を渡った所が近鉄「高田市駅」で、その直ぐ北側に「石園坐多久虫玉(いわぞのにいますたくむしたま)神社」が鎮座しています。祭神は、建玉依比古命(たてたまよりひこノみこと)と、建玉依比賣(たけたまよりひめ)命で、当地は安寧天皇浮孔(うきあな)の宮跡の浄地とされ、また、当社は「龍王宮」とも称し、地元では「じょうさん」と呼ばれ、これは「龍王さん」の訛ったもので、なお、当社を龍の胴体、頭が三輪の大神神社、尻尾が当麻の長尾神社だそうです。
 吉井山「名称寺(みょうしょうじ)」

 近鉄南大阪線「高田市駅」から真っ直ぐ南へ行き、国道165号大和高田バイパスの下をくぐると、大和高田市曽大根(そおね)の集落で、浄土真宗本願寺派「名称寺」があります。聖徳太子が大和国広瀬郡百済郷に建立した百済大寺跡に、1335年(建武2年)本願寺三世の覚如宗主が和州百済二條道場を建立し、1455年(康正9年)百済より今の曽根に移転し、その後、1490年(延徳2年)1月下旬〜7月まで蓮如上人がご巡錫になり、1503年(永正10年)6月寺号を「二條名称寺」とし、実如上人より御影が下付されて、1572年(元亀3年)9月石山合戦に当寺からも出陣したけど、織田方に攻められ陥落す。
 白龍大明神の「サイカチ」

 「名称寺」から東へ行き、甘田川に突き当たったら上流へ辿ると、橋のたもとに樹高約15m、根回り約3.5m、目通り約2.5mの「サイカチ」の巨樹が植わっています。奈良県下では、稀に見る老樹で、昔ある青年が甘田川の護岸工事で「サイカチ」の根元を少し切り取ったら、数日後に亡くなったとかで、以来村人がこの「サイカチ」を霊木として恐れ、今では根元に注連縄が巻かれています。また昔、村人が作物の苗を担いで橋を渡っていたら、小蛇がいたので、籠で除けようとすると、大蛇になって襲いかかって来ました。驚いて家へ逃げ帰ると、その夜から高熱を出して臥したとかで、ここに「白龍大明神」を祀りました。
 葛城山「光暁寺(こうぎょうじ)」

 「甘田川」を渡って、更に東へ行くと、大和高田市出(いで)で、「葛城川」の「地蔵橋」を渡り、狭いバス通りに出るまでに、浄土真宗本願寺派「光暁寺」があります。1708年(宝永5年)出村の念仏道場として建立され、1745年(延享2年)本尊「阿弥陀如来木像」が入仏されて「光暁寺」の寺号を名乗りました。なお、本尊に「和州高市郡出興正寺派道場」の銘があり、当初は真宗興正寺派で、明治8年に浄土真宗本願寺派(西本願寺)に転派されました。なお、境内の伊吹(いぶき)の枯れ木は、樹齢約400年の古木で、周囲約2.6m、樹高約15mありました。また、秋に境内で大輪の「菊華展」が模様されます。




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