水辺の「川西町」、「三宅町」から桃太郎の古里「田原本町」 辺り  その2
 油掛(あぶらかけ)地蔵

 「春日神社」の西に融通念仏宗「金福寺」があり、更に西へ600m行くと、聖徳太子の通学路(筋違い道)沿いに「油掛地蔵」が格子のお堂の中に安置されています。1523年(大永3年)造立で、舟型光背のある高さ約61センチ(台座とも)の地蔵立像で、泥田の中に埋もれていたのを引き上げて、ここにお祀りしています。クサ(できもの)ができている子供の母親がこのお地蔵さんにお祈りをして油を掛けたら、クサが治ったと云われており、願をかける時には油を掛ける習わし(燃灯供養)があることと、当時から、この付近に水害が多いため、油を掛けて水を弾くようにと云うことから、「油掛地蔵」と呼ばれています。
 南吐田の「杵築(きつき)神社」

 「油掛け地蔵」から更に西へ行くと、濠を巡らして鬱蒼と木の繁る中に「杵築神社」が鎮座しています。祭神は、須佐之男命(すさのおノみこと)。境内社に厳島神社、八王子神社を祀る村社です。例祭は、毎年10月10日に行われて、六頭屋の制度があります。昔は、南吐田集落の北側に鎮座していましたが、大和川の改修後、「油掛地蔵」の直ぐ西側である現在地に移転して来ました。なお、「大和川」の改修は、その蛇行を直線にするため、「寺川」と「大和川」の合流点を中心に実施されたが、その工事中に遺物が出土して、その後の調査で、五世紀の壷、高杯等の須恵器、土師器なども出土し、南吐田遺跡と呼ばれています。
 南陽禅寺(TEL 0745-43-1459)

 「杵築神社」から「大和川」の土手沿いに南西へ行くと、前方に曹洞宗「南陽寺」の屋根が見えていますが、当寺は奈良では少ない参禅道場です。なお、参禅とは、師家についてその教えを参問し、自ら坐禅功夫する事で、参師問法、功夫坐禅の意だそうです。印度では、釈尊の教えに遵って、弟子達が、平常、各地を歩いて教化に当たっているが、雨期には一カ所に留まって静かに修行の生活に励んでいるそうです。また、「南陽禅寺」の直ぐ西、鬱蒼とした森に囲まれた中に環濠屋敷「新野(にの)邸」があります。新野氏は、江戸時代大和郡山藩の大庄屋を務めたこの辺り屈指の豪農で、現在でも当時のりっばな長屋門があります。


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