奈良公園の「鹿寄せ」

 古都奈良の風物詩「鹿寄せ」は、明治25年9月25日(日)鹿園竣工奉告祭に、ラッパを吹いて鹿寄せを行ったのが始まりで、明治40年天皇行幸の際、県公会の庭でも行い、戦前は「若草山頂の大鹿寄せ」が行われ、戦中戦後に一時中断したけど、昭和24年に復活して、今では「奈良の鹿愛護会」の方が、ベートーヴェン作曲・交響曲第6番「田園」(パストラールシンフォニー)ヘ長調作品68の「牧人の歌」で始まる最終楽章(フィナーレ、第5楽章)の一節をナチュラルホルンで吹かれる音色に誘われ、右上の写真の様に森の奥から数十頭の鹿がやって来て、左下の写真の様に餌をおねだりし、食べ終わったら(約10分)さっさと右下の写真の様にまた森の奥へ帰って行きます。

 古都奈良でしか見る事の出来ない「鹿寄せ」は、世界遺産に登録されている奈良公園での朝の長閑(のどか)な光景です。なお、以前は餌の少ない冬期にのみ行っていたが、近頃は夏期も行われ、開始は10:00です。また、一茶の句は

   春日野や 駄菓子に交じる 鹿の糞    一茶

   On the moor of Kasuga,
   Among the cheap sweets,
   Deer's dung.

 所で、古くは女鹿(めか)に対し雄じかを夫鹿(せか)と呼び、それが変化して「しか」になった奈良公園の鹿は、鹿煎餅を見せると頭を下げてお辞儀をし、平成17年現在、1170頭いて、昔も沢山いた様で、万葉集に鹿、さ男鹿、猪鹿(しし)、鹿児(かこ)等の名称で鹿を詠み込んだ歌が76首あり、もちろん、鹿の姿そのものを詠んだ歌も何首かあって、そのほとんどがうらさびしい鹿の鳴き声を詠ったもので、その他、春日野や高円などの地名と共に詠み込まれ、なお、花札では鹿に紅葉ですが、秋の七草の1つ「萩(はぎ)」と共に詠みこまれた歌も多くあり、

 わが岡に さ男鹿来鳴く 初萩の 花嬬(はなづま)問ひに 来鳴くさ男鹿
                          巻8−1541 大伴旅人

 秋萩の 散りのまがいに 呼び立てて 鳴くなる鹿の 声の遙(はる)けさ
                          巻8−1550 湯原 王

更に後世、歌聖とあがめられた柿本人麻呂も万葉集で、下記の様に鹿の歌を詠んでいます。

 夏野行く 牡鹿の角の束の間も 妹が心を忘れて思へや
                          巻4−502 柿本人麻呂

 なお、牡鹿(おじか)の角は、夏に鹿の角がまだ生えきらず、短いところから、短い時間の例えの意の「つかのま」「ほどなし」などを引き出す表現に用いられています。



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