句碑の郷「東吉野村」  その1

 史跡、村文化「伊勢街道道標」

 近鉄大阪線「榛原」から国道370号線で「宇陀市大宇陀町」に入り、国道166号線で「宇陀市菟田野町」を通って、佐倉峠を越すと「東吉野村」で、バス停「鷲家」の三叉路に「伊勢街道道標」が建っています。文政十一年(1828年)の銘があり、上部が常夜燈で、高見越え伊勢街道と、東熊野街道に通じる要衝に建ち、伊勢街道の中で遠く江戸を示す道標として最西端に位置しています。また、当時の鷲家は、紀州藩領で、本陣、伝場所、旅籠があって、宇陀と熊野を結ぶ交易の中継地でもありました。なお、昔は、今より約4m前、道路の中央に建っていたが、昭和17年頃、軍用材運搬の障害になり、少し後退しています。
 旧村社「鷲家(わしか)八幡神社」

 三叉路の所は、「鷲家川」へ北から又別の川が流れ込む合流点の所で、「八幡神社」が鎮座しています。祭神は、天照皇大神、八幡大神(誉田別命)、春日大神(天児屋根命)ですが、昔は、東吉野村大字大豆生(まめお)と伊豆尾(いずお)の氏神も合祀していたけど、500年前に分祀しました。また、八幡大神は山城石清水(いわしみず)八幡から勧請されて、元は上鷲家の大岩に鎮座していましたけど、1600年頃(慶長年間)現在地に遷座しています。なお、社殿は流造、檜皮葺で、境内摂社が五社もあり、稲荷大神、大国主神、猿田彦神ら、街道の通行量の増大に伴い合祀したので、「二十二社さん」とも呼ばれています。
 県天然「サザンカの巨木」

 また、「八幡神社」の境内に桂信子の句碑があり、

 おのづから伊勢みちとなる夏木立

 なお、桂信子は大正3年大阪市に生まれ、昭和13年日野草城に師事。昭和45年「草苑」を創刊、主宰。昭和52年第1回現代俳句賞受賞、平成4年第26回蛇笏賞受賞。句集として「月光抄」「女身」「晩春」「新緑」「初夏」「緑夜」「草樹」「樹影」、また、エッセイ集「草花集」「信子十二か月」があります。更に、「八幡神社」の西の対岸、バス停「多武井」の近く、寺の境内墓地には「松尾芭蕉副碑」があって、

 酒のみに 語らんかかる 瀧の花

 また、バス停「鷲家」まで戻って、路地を入った橋本邸の裏庭に「サザンカの巨木」が植わっているが、近頃は上の大きな枝を伐られ、少し小振りになりました。




奈良観光表紙に戻る  東吉野村周辺の図を開く  前のページに戻る   次のページに進む