御所市、「巨勢の道」  その6
 室の「八幡神社(孝安天皇室秋津島宮趾)」

 なお、「宮山古墳」は、武内宿禰の墓とも云われ、室(むろ)の大墓(おおはか)と呼ばれ、江戸時代は孝安天皇陵に比定され、後円部の上に「八幡神社」が鎮座しています。御祭神は、誉田別尊(ほんだわけノみこと、応神天皇)。本殿は、方一間の春日造。境内社に春日神社、稲荷神社が鎮座し、奉納された絵馬に民族資料として貴重な農耕の場面を描いたものがあります。また、境内に第6代孝安天皇(日本足彦国押人尊)秋津嶋宮(あきつしまノみや)跡の石碑が建ち、本殿の左横に鎮座する摂社の鳥居をくぐって、墳丘へ登ると、後円部の頂上へ至り、北側の近くに陪塚(ばいちょう)と推定される古墳が2基存在しています。
 真言宗「寳国寺(ほうこくじ)」

 「宮山古墳」の西側に「室(むろ)大師・身替(みがわり)大師」と呼ばれている高野山真言宗・葛成山「寶国寺」があります。本尊は弘法大師「空海像」。元は「法谷寺」と記していました。創建の由来は、寺伝によると、空海が役小角(役行者)の行跡を訪ねて御所に来て、ここに草庵を結び、本尊「阿弥陀如来」を安置したことに始まり、その後、弘法大師の空海を慕う人々が同庵に詣でるようになったという事です。なお、室町時代の1553年(天文22年)高野山、金剛山に詣でた三条西公条の「吉野詣記」にも載っており、2月30日「むろべ」で泊まり、3月3日高野山、と書かれ、「むろべ」の宿は当寺と思われます。
 「寶国寺」の「瓦岩」

 「寶国寺」の境内、本堂の前に粘土の瓦が固まって石になった「瓦岩」があります。その由来は、その昔「寶国寺」に瓦を寄進しようとした人がいましたが、本尊に対して違約の事があり、その為にまだ生乾きの瓦が一夜の中(うち)に瓦(かわら)が変じて岩石になったと云われ、その名残がこの「瓦岩」だそうで、本尊「弘法大師」空海の法験かくの如きと、後世への証拠として、境内に置かれていますけど、今ではこの「瓦岩」に「癌封じ」の奇験があると云われ、患部をさすったその手で、此の「瓦岩」をなでれば、諸病、特に癌封じに霊験あらたかとかで奇妙なりと云われ、また、真言密教の秘法に「胡瓜の加持」もあります。


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