斑鳩

法隆寺
    その4

 国宝「東室・聖霊院(しょうりょういん)」

 「鏡池」の後(北)、「回廊」の東側で、西室(にしむろ)・「三経院(さんぎょういん)」と対称の位置に建つのが東室(ひがしむろ)・「聖霊院」です。東面の僧房で、当初は正面4間、側面18間でしたが、1284年(弘安7年)前方6間分が正面を5間に広げ、「聖霊院」として新築され、聖霊院内の大形の厨子(ずし)に「聖徳太子坐像」を中心に侍者「山背王(やましろノみこ)」「殖栗王(えぐりノみこ)」「卒末呂王(そまろノみこ)」「恵慈(えじ)法師」坐像が安置され、いずれも藤原時代の作で国宝です。なお、当院では、毎年3月22日13:00〜、「聖徳太子坐像」が開扉されて、お会式(えしき)が行われます。
 法隆寺の国宝「綱封蔵」と「細殿」

 法隆寺「鏡池」の東側の境内から、北側を見た写真です。写真の左(西)側に写っている建物が平安時代の初期に建立された「綱封蔵(こうふうぞう)」です。南北9間の両端各3間にそれぞれ蔵を設け、中央の3間が吹き抜けになっていて、ここの宝物は、大宝蔵殿などへ移されています。写真の中央、桜の陰に見える正面の建物が重要文化財の「細殿」で、鎌倉時代に建立されました。その後ろに屋根だけが見える建物が国宝の「食堂(じきどう)」で、天平時代に建立され、後から造られた細殿と共に並び建って、双堂形式です。なお更に、その後ろに写真では見えませんが、百済観音堂を中心とする大宝蔵院が建っています。
 大宝蔵院の中心「百済観音堂」

 飛鳥時代に造られ、我が国仏教美術を代表する仏像として世界的に有名な国宝「百済(くだら)観音像」は、法隆寺で長い間安住の殿堂がなく、あちこち移動展示されていたが、平成10年やっと「大宝蔵院」が建立され、その中に「百済観音堂」が落成しました。なお、「百済観音像」は作者未詳、様式の源流と像の来歴も不明ですが、日本の仏像には珍しい八頭身で、高さ209cm楠(くすのき)の一木造、すらりとした細身の像容で、右手は何かちょうだいをし、左手に水瓶を持っています。なお、「大宝蔵院」には作者未詳、高さ233cmの国宝「玉虫厨子」もあるけど、玉虫の翅は全て欠け落ちて、今は輝いておりません。
 「東大門」の所から「西大門」を望む

 写真中央に遠く望まれるのが「西大門」で、左側の築垣の中に、手前から普門院、実相院、護摩堂、大湯屋などの屋根が見え、右側の桜の並木に沿った塀の中は、写真に写っていませんけども、南倉、大宝蔵殿、中倉、北倉、収蔵庫、そして、工芸収納庫などが並列に並んでいます。けれども残念ながら塀の中に入ることは出来ません。なおこの他、西院伽藍の西側には、国宝の「三経院」「西円堂」が在り、北側に重要文化財の「薬師坊庫裡」「上御堂」等も在ります。所でまた、法隆寺の七不思議の1つに、鳩はどうか知りませんが「雀が伽藍の堂塔等に決して糞をしない」と云うのが有りますから、行かれたら確かめて下さい。
 法隆寺の国宝「東大門」

 写真は、西院伽藍から「東大門」を出て、振り返って国宝の「東大門」を見た所です。東大門は珍しい三棟造りの大門で、奈良時代に建立され、奈良時代を代表する建物の1つです。向かって右側に車椅子用のスロープが在りますけど、敷居は車椅子を持ち上げ跨(また)いで下さい。なお、「東大門」から東へ約200m行くと、法隆寺の東院伽藍で、夢殿、伝法堂、東院の鐘楼等が在ります。また、東院伽藍までの途中の道は、両側に土塀が在り、南側の土塀の中に、本堂、羅漢堂、そして、北側の土塀の中に、律学院等の重要文化財指定の建物や、宗原寺、福園院、福生院なども建っていますけど、中に入ることは出来ません。




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