生駒山周辺と信貴山まで  その18
 信貴山本堂下の地下「戒壇巡り」入壇百円

 信貴山「朝護孫子寺」の床下、階段を下りた地下に一辺9間、4面で36間の回廊があり、中は真っ暗闇鼻の先に手をやつても見えません。2番目の角の所を曲がると燈明が灯った格子の中に生まれ年の守本尊が祀られ、ここだけが僅かにほの明るい一点です。次の角を曲がると右側に大きな錠が掛かり、その中に如意宝珠が納められていますが、これは紀州根来寺を創建した覚鑁(かくばん)上人が1126年(大治元年)3月19日当山に籠もって修行をされた折りに納めた宝珠で、これに触れると(代わりに錠前でもよい)、七珍萬宝家に満ち、その上更に信心堅固なる者は福徳栄華累代に及ぶ天王のお告げを受けられたものです。
 千手の公孫樹(いちょう)「仏手白果」

 なお、その他に本堂の西側には「宝霊館」があり、信貴山縁起絵巻、国重文で楠木正成の鎧兜、武田信玄自筆で祈祷の感謝状などを陳列し、入館料300円。また、境内には弘法大師と同行二人で四国八十八ケ所お砂踏み巡りができる「開山堂」や、更に塔頭では、「玉蔵院」、「成福院」、「千手院」が宿坊として整備され宿泊可能です。そして、赤門へ向かう参道の途中に樹齢約千五百年の神木「榧(かや)の木」が植わり、その横に笛を吹く聖徳太子14歳時の騎馬像が建ち、更に参道を挟んで反対側、石灯籠の建ち並ぶ所に樹齢約五百年の銀杏(いちょう)が植わっています。木の枝振りが千手観音菩薩の沢山の手の様に見え、また、銀杏の形が仏様の合掌された両手に似ている所から、千手の公孫樹「仏手白果(ぶっしゅはつか)」と名付られています。なお、この銀杏は中国産の品種ですが昭和58年7月に偶然発見されて、それまでは日本で宮崎県高千穂の岩戸神社の境内にある1本だけが知られ、我が国で2本目の極めて珍しい銀杏の巨木です。
 信貴山「劒鎧護法(けんがいごほう)」

 巨木の所から更に赤門を出ると、左の方へ行く道があり、ちょっと曲がって2分ほど行くと、劒鎧護法の神が祀られています。910年頃(延期10年頃)、醍醐天皇が重い病に罹られた時に、命蓮上人が「朝廟安穏、守護国土、子孫長久」を願って、毘沙門天王に祈願したら、数日後加持満願の日に劒鎧童子が天皇の枕元に現れ、霊感を授けたので病気が平癒しました。この事は、藤原時代の作で「源氏物語絵巻」と並ぶ絵巻物の最高傑作、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)筆の国宝「紙本著色信貴山縁起絵巻」の「縁起加持の巻」にも描かれ、ここに劒鎧護法が病気平癒の守り本尊として祀られ、それ以後寺名を「朝護孫子寺」としました。




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