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等弥神社「上社(上津尾社)」
毎年5月13日鳥見霊畤顕彰会で、鳥見山の拝所で大祭が斎行されます。また、境内入口には、佐藤春夫と堀口大学との「友情の句碑」が並び建っています。
大和には 陵多し 草もみじ 春夫
草もみじ友の声かと虫をきく 大学
なお、境内には他に「万葉集」の歌碑が3基も建ち、それらは、巻8−1549の紀朝臣鹿人の歌、巻8−1560大伴坂上郎女の歌、巻10−2345詠み人知らずの歌で、それぞれ字が崩れていて読めません。
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聖林寺(TEL 0744-43-0005)
また、「等弥神社」の前のバス通り県道37号桜井吉野線を南へ戻ると、バス停「浅古」の次が「聖林寺前」で、「寺川」を渡って、ちょっと上ると、多武峰山麓の高台に建つ「聖林寺」です。狭い境内から奈良盆地や三輪山が一望でき、712年(和銅5年)藤原鎌足の長男、定慧(じょうえ)が父の菩提を弔う為に建てました。本尊の「丈六石像子安延命地蔵菩薩」は身の丈が約3.5mで、大和路内で最大級、何処かに難産の方がおられると、お体がぐっしょり濡れます。また、天平彫刻の傑作で国宝「十一面観音立像」は、和辻哲郎の「古寺巡礼」でも絶賛され、広く知られ、拝観は、9:00〜17:00まで、400円です。 |
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真言宗「聖林寺(しょうりんじ)」の本堂
聖林寺の国宝「十一面観音立像」は、元々は「大神(おおみわ)神社」の神宮寺であった大御輪寺(だいごりんじ)の本尊で、1868年(明治元年)3月新政府の神仏判然令による廃仏毀釈の際、聖林寺に移転して来られ、その後、東京大学で哲学、理財学を教えていた東洋美術史家フェノロサが、岡倉天心と奈良に来た時に感銘し、厨子を寄進しています。なお、像は高さが196.4cm、木心乾漆で、流れる様な衣文(えもん)が美しく、天平時代は後期の代表作です。また、毎年11月「マンダラ展」が有り、その頃から境内に千両、万両、南天が実り、濃い緑の葉に実る黄実千両は十三重石塔を背景に冬景色に良く映えます。 |