伊勢本街道「御杖村」  その6
 月輪胎蔵界大日如来種子碑(大日つぁん)

 その昔、伊勢松坂の本居宣長も通った「岩坂峠」を東へ下ると、石ころがごろごろで足元がおぼつかないけど、坂道の曲がり角の右奥に「大日つぁん」が石柱4本の上部に石の屋根を乗せて、建てられています。蓮華座の上に描かれた月輪の中に深く豪快な薬研彫りで示されている種子は、梵字の「アーンク」で、胎蔵界の「大日如来」を表していますが、「大日如来」は平安時代に唐へ留学した弘法大師によって伝えられ、「大日如来」の光はあまねく一切平等で陰(かげ)を作らず、太陽にも勝る宇宙の根本仏で、諸仏はこれを中心に展開すると云い、農村においては、豊かな稔りと平穏な生活を願い、大日信仰が盛んになりました。
 六部塚(六部は、六十六の略)

 「月輪胎蔵界大日如来種子碑」から「伊勢本街道」へ戻って、また、少し下ると、街道の右前方に石垣で囲まれた中に「六部塚」の石碑が建っています。ここは、遊行の聖だった六十六部供養の僧が修行の果てに入定した窟だそうです。なお、六十六部とは、全国で六十六か所ある霊場に一部ずつ納めて回るために書写した六十六部の法華経のことで、室町時代にそれらを納めて回る行脚僧が出て始まり、江戸時代になると、僧侶の他に、鼠木綿の着物を着て、同色の手甲・甲掛・股引・脚絆を付け、仏像を入れた厨子を背負って、鉦(かね)や鈴を鳴らし、米銭を請い全国津々浦々、畿内・七道合計六十六か国を歩き回る人がいました。
 夏季旱天でも涸渇しない「霊泉」

 また、「六部塚」の所から「伊勢本街道」へ戻り、山道を下ると、やがて車道を横切る所の角に「霊泉」がありますが、もうここは奈良県の外れで、三重県との県境に位置し、車道を左に行っても直ぐ近くに見えている国道368号線へ出ますが、「伊勢本街道」は車道を横切って再び森の中へ入り、小さな橋を渡って竹林を抜け、民家の前を過ぎると、国道368号線のバス停「杉平」です。そこから左(西)へ向かうと、「鎌広峠」を上がって、バス停「敷津」に至り、北へ行くと、「名張川」沿いに近鉄大阪腺「名張駅」で、また、バス停「杉平」から右(東)へ向かうと、三重県「美杉村」で、JR名松線「奥津駅」へ至ります。




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