佐保、佐紀路辺り その3

 植村牧場(TEL 0742-23-2125)

 奈良阪の途中、秋桜で有名な「般若寺」楼門の前に明治16年創業、県下で最も古い「植村牧場」があります。道路から奥まった所に牛舎があって、今では町中で殆ど見られない乳牛を見学することが出来ます。なお、道に面して売店もあり、低温殺菌した摂りたての牛乳でお菓子やソフトクリームを作り、販売しておられます。また、早朝に行かれると、牛舎前の広場に数十頭の乳牛がモ〜モ〜叫びながら出て、朝の散歩をするので、角を振りかざし大きな目玉で睨みますが、大きな声さえ出さなければ、いたっておとなしい動物です。写真ではちょっと見えませんが、牛舎の中に繋がれた牛がいて、外から見学できますが少し臭いです。
 京街道に面する般若寺の国宝「楼門」

 西国薬師第三番霊場「般若寺」には鎌倉時代建立の天竺様「楼門」が有るけど、そこからは入れません。但し、「楼門」が開いていたら宇治の浮島のより少し小さいけど、塔を修理していたら仏像等が出た国重文「十三重石塔」が見えます。高さ約14m、宋の石工伊行末(いのゆきすえ)らが1253年(建長5年)頃に造りました。北へ廻り、拝観料400円を払って入ると、春は山吹、夏は紫陽花、秋はコスモスや萩が咲き、宋人・伊行末の子、伊行吉(いのゆききち)が1261年(弘長元年)に亡父の追善供養と母の無病息災を願い、梵字を彫って建立された高さ4.8mの国重文「笠付き石塔婆」2基も境内に建っています。
 般若寺(TEL 0742-22-6287)の石仏

 真言律宗、法性山「般若寺」は、奈良時代735年(天平7年)聖武天皇の勅願により行基が建立して、895年(寛平7年)頃に聖宝(しょうぼう、理源大師)の弟子観賢(かんげん)が多くの学僧を集め学問道場とたが、1180年(治承4年)平重衡の大軍が奈良坂で東大寺衆徒を破り、大仏殿を焼いた時、南都防衛拠点の般若寺も全ての伽藍を焼かれ、その後に、叡尊と弟子の忍性が再興し「楼門」や国重文「経蔵」が建立されたけど、本堂は1490年(延徳2年)の火災で焼失し、更に1567年(永禄10年)松永久秀と三好三人衆の争いで伽藍の大部分を焼かれたが、幸いにも「楼門」「経蔵」「石塔」は難を免れました。
 般若寺の本堂

 江戸時代初期に再建された「本堂」に安置されている国重文の本尊「文殊菩薩騎獅像(もんじゅぼさつきしぞう)」は、1324年(元亨4年)慶州の仏師、康俊・康成による寄木造で、右手に宝剣、左手に経巻を乗せた蓮茎(れんけい)を持って唐獅子に鎮座し、像高4.39m、ネックレスをして端正な姿です。又、獅子の手綱を引き先導するのは文殊菩薩五尊の四侍者の1人優填(うてん)王、1651年(慶安4年)に造られ、仏典によると彼はコーサンビー国の王様で、釈尊が母に説法をするため天界に昇った時、王は仏の不在を悲しみ、香木の栴檀(せんだん)で仏の形像を造って供養しました。それが今の仏像の始まりです。




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