佐保、佐紀路辺り その17

 宇奈多理坐高御魂神社

 「平城宮跡」の「遺構覆屋」「宮内省跡」の所から南東へ見える森の中に「宇奈多理坐高御魂(うなたりにいますたかみむすび)神社」が鎮座しています。武内宿弥の勧請で、祭神は、中座が最初に高天原に現れた「造化三神」の1神、高皇産霊(たかみむすひノ)尊、西座がその子の思兼(おもいかねノ)神、東座が天太玉(あめノふとだまノ)命の3柱です。思兼神は天照大御神が天岩屋戸に隠れて八百万の神々が困っていた時、天照大御神引き出しの方策を授けた神様で、その時、天太玉命が榊に玉、鏡、幣(ぬさ)を付けて御幣としました。また、国重文の「本殿」は、三間社流造桧皮葺、室町時代初期の建築と云われています。
 平成11年復元の「東院庭園」

 南北約1km、東西約1.3kmの「平城宮跡」、その中央にある「大極殿跡」の真西約750mに奈良国立文化財研究所(TEL 0742−34−3931)と「平城宮跡資料館」があり、北東250mに「遺構展示館」があり、更に南東600mに「東院庭園」があり、南西600mの所、近鉄奈良線の踏切を渡った所には「朱雀門」も復元され、いずれも見学無料で、9:00〜16:30に見学が出来、月曜日(但し、月曜日が祝日の場合は翌日)と、冬の間は休館です。なお、「平城宮跡」からは、短冊型の木片に墨書し、伝達文書や帳簿、荷札等として使用された貴重な文字資料の「木簡」が3万点も出土し、今も調査中です。
 平城宮南面中央の正門「朱雀門」

 朱雀(すざく、しゅじゃく)とは、中国の伝説上の鳥で、南を守護し、「朱雀門」は第一次朝堂院の南に位置し、朱雀大路(幅85m)に向って開いていて、平城京南端正面に建っていた「羅城門」と向き合っていました。昭和39年の発掘調査で、東西32m、南北17mの範囲を深さ2m掘り、良質の土を突き固めて基壇とし、礎石は失われていたけど、基礎を固めた玉石の残存状態などから入母屋造、瓦葺の屋根をもつ二階建の門で、他の宮城諸門より一回り大きく、東西25m、南北10mと推定され、両側に平城宮の周囲をめぐる土塀(幅3m)が取り付き、昔は門前広場が元旦のお祝い事等、儀式の場として用いられました。
 奈良市史跡文化センター(TEL 0742-34-9021)

 「朱雀門」から南へ出て、バス通り県道1号奈良生駒線(二条大路)を左(東)へ行き、国道24号奈良街道のガード下を過ぎた左側が「史跡文化センター」です。ここは、平城京左京三条二坊六坪に位置して、昭和50年奈良郵便局の移転に伴う発掘調査から敷地の中央に園地を配した大規模な庭園の遺跡が出土し、特別史跡で、北を三条条間路、南と西を坪境小路によって画され、園地に玉石を敷き詰め、要所に片麻岩や花崗岩等の景石を配する技巧的なもので、幅15m、延長55m、水深約20cm、池の西側に東方の山並みを背景に池を観賞できる様な建物が建ち並び、出土した木簡や瓦等から公的な宴遊施設と推定されます。




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