二上山の麓、當麻の里  その10

 當麻寺の国重文「金堂」

 二上山「當麻寺」は真言宗と浄土宗2宗を併立し、612年(推古天皇20年)用明天皇の皇子・麻呂子(まろこ)が兄聖徳太子の教えにより、河内国交野郡山田郷に草創した万法蔵院禅林寺に始まり、681年(天武天皇白鳳10年)麻呂子の孫、當麻眞人国見が瑞夢により、役行者練行の当地へ移し、豪族當麻氏の氏寺として整備しました。「金堂」は鎌倉初期の建立で、桁行五間、梁間四間、一重入母屋造本瓦葺、柱に文永五年(1268年)田地寄進の銘があり、内部は土間で土の須弥壇を築き、本尊は塑像で高さ2.2mの国宝「弥勒坐像」、白鳳末の作とみられ、他に重文の「四天王立像」「吉祥天立像」を安置しています。
 日本最古の「石燈籠」

  また、「金堂」内の三間二間が内陣で漆喰の須弥壇に安置されている本尊は、8世紀初めの作、塑像では最古の丈六(1丈6尺の事で、約4.85m)仏で、国宝「弥勒仏坐像」です。また、四隅に立つ国重文の「四天王立像」は、鎌倉時代の木彫多聞天像を除き、他は乾漆(かんしつ)像で、拝観料は、本堂で支払います。また、「金堂」の前方中央に建っている凝灰岩八角形の「石燈籠」は、国重文で、我が国最古の石燈籠。白鳳時代(飛鳥時代と奈良の天平時代との間に挟まれ、645年の大化元年から710年平城遷都までの時代、美術史上の1つの時代)に松香石で造られ、数年前までは被(おお)いの屋根はありませんでしたが、近頃は雨から保護する為に屋根が造られました。
 當麻寺の国宝「東塔(三重塔)」

 「石燈籠」の脇を通って、石段を上がり左へ曲がると、正面の一段高い所に国宝の「東塔(三重塔)」が建っています。建立年代ははっきりしませんが、斑鳩にある法起寺の三重塔に次いで古く、奈良時代まで逆のぼり、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ大規模な改築が行われたけど、細部に天平時代の飛鳥様式をよく残し、荒削りな力強さを魅せ、後世の和様三重塔婆の基本形と云われています。明治35年にも解体修理が行われ、現在に至っています。塔は、本瓦葺、総高23.24m、古式に則り基壇上に建ち、天を突く青銅製「相輪」は普通九輪ですが1つ少ない八輪で、「水煙」は珍しい魚骨式の意匠をもつ独特の物で、後世の物と云われています。なお、方三間四面の初層は中央間が大変広く採られた板唐戸で、脇間は連子窓、円柱はエンタシスですが、二・三層は共に柱間が方二間で、古塔の二層が二間は他で見る事がありません。また、天井は組入天井で、初層内部に心柱と四天柱があり、心柱の頂点に昔仏舎利が安置されていました。


当麻寺の桜のページ

奈良観光表紙に戻る  二上山の麓、當麻の里周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む