大和高田市  その1
 築山(つきやま)古墳

 近鉄大阪線「築山駅」の南、約300mの所に磐園(いわぞの)陵墓参考地に治定された「築山古墳」があります。前方部を東に向けて、全長が約210mの前方後円墳で、今も満々と水をたたえた周濠が巡っています。宮内庁が管理しているため墳丘内に立ち入ることは出来ませんが、採集された埴輪片から古墳時代中期の造営と考えられ、周辺には陪塚(ばいちょう)と思われる茶臼山古墳や、コンピラ古墳等が数基存在しています。なお、「築山古墳」の南にやはり宮内庁が管理する陵西陵墓参考地があり、全長約75mの前方後円墳で、「狐井塚(きついつか)古墳」と呼び、また、北西に径18mの「古屋敷古墳」もあります。
 正行寺(TEL 0745-52-5431)

 「狐井塚古墳」から少し東へ行き、右に折れてJR和歌山線のガード下を通って南へ向い、更に右へ折れて西へ行くと、大和高田市有井(ありい)の集落に真宗大谷派有井山「正行寺(しょぎょうじ)」があり、本尊は「阿弥陀如来」です。開基は、麻呂子親王二十八世の孫・有井為綱、1476年(文明8年)本願寺蓮如の門弟となって円浄と称し、1491年(延徳3年)古城地に正行寺を造立、1493年(明応2年)9月19日に円浄が本願寺の実如から授かった蓮如絵像の裏書に「和州葛下郡平田庄有井」とあり、また、当寺には、同時期の「阿弥陀如来絵像」が所蔵され、この時代に道場としての形式が整えられたようです。
 有井(ありい)環濠集落内の「弘法井戸」

昔の「正行寺」は、掘を巡らし、その周囲に民家があり、更にそれらを囲む外堀が僅かに残り、典型的な二重環濠の城跡で、高田城の支城有井城でした。寺蔵の当麻氏系図によると、1432年(永享4年)高田為貞が築城し、1470年代(文明年間)一向宗蓮如に帰依した當麻為綱(とうまためつな)が居館(きょかん)を毀(こぼ)ち、「正行寺」とし、寺と村とを囲んだ二重環濠村落で、中世には、水利と村落自衛のために造られた環濠が、大和高田市に松塚、土庫、藤森、池尻、岡崎、磯野等に造られ今も残っています。なお、写真の屋形は、「正行寺」から東へ行き、磐園小学校の横にある弘法大師伝説の「弘法井戸」です。




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