東大寺 ( TEL 0742−22−5511)    その1

1.最寄駅
JRまたは近鉄奈良駅から外回り循環バスに乗車して、「大仏殿春日大社前」で下車。
なお、近鉄奈良駅からなら徒歩1.5キロ、登大路を真っ直ぐ東へ、鹿を見ながら20分も歩けば東大寺です。


2.沿革
 東大寺の前身は、「続日本紀」によると、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた、基王が、728年(神亀5年)夭逝して、その菩提を弔うため、天武天皇の孫に当たる智努王が造山房司長官となって山房を建立した金鐘寺(こんしゅじ、こんじゅじ、慣用的に、きんしゅうじ、現在の三月堂、法華堂)で、また、738年(天平10年)3月光明皇后によって、同境内内に福寿寺が建立され、後に2つの寺院が、742年(天平14年)7月頃統合され、大養徳国金光明寺(やまとのくにこんこうみょうじ)と呼ばれる大和国の国分寺となって、これが東大寺の直接の前身で、745年(天平17年)大仏造立が始まり、金光明寺が「東大寺」と呼ばれる様になったのは、747年(天平19年)12月25日の正倉院文書「東大寺写経所解(とうだいじしゃきょうしょのげ)」に見られ、なお、「東大寺」とは、平城宮の東に位置することから付けられた名称で、現在の正式寺号は、華厳宗総本山「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら、異称を大華厳寺)」と云います。

 また、大仏さんに関しては743年(天平15年)行幸地の柴香楽宮に居られた聖武天皇の夢枕に、東山から紫衣を着た僧が立ち「金銅十六丈の盧舎那仏を造れ」と告げ、びっくりした天皇は、天竺震旦にもこれほどの大仏は無い、ましてや日本は小国であると危惧したが、冥衆のお告げならばと奮い立ち、早速皇祖「天照大神」に祈願のため、76歳の行基さんを伊勢神宮に勅使として遣わして、大神宮に釈迦如来の舎利を供えると、天照大神は大層感心され「垂迹神(すいじゃくしん)を遣わして、願いを遂げてやる」と告げられました。そこで、天平15年10月15日菩薩大願の詔「国銅を尽くして像を鎔、大山を削り以て堂を構え、広く法界に及ぼして朕が知識となす」が発せられ、翌年11月山城国相楽郡恭仁宮の離宮、近江国甲賀郡紫賀楽村で佛體の骨柱が建てられたが、度々山火事が起こり、地震も多く、天平17年8月都が平城京に復帰せられて、現在の山金里を好地とし、鋳像の大業に掛かり、天平19年9月から3年間に8度改鋳(鋳継ぎ出し)を経て、747年(天平21年)10月24日鋳像完成。その際それまで、日本に無いと思われていた金が出土し、その瑞祥により、749年、年号を天平感宝元年と改めて、752年(天平勝宝4年)4月9日晴れて大仏さんの開眼法要が無事行われました。


3.みどころ



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