旧柳生街道「滝坂の道」  その2

 南北朝時代作の「寝仏(ねぼとけ)」

 また、奈良から登りが急な坂道の「滝坂ノ道」は、日頃歩き馴れない人には少々ハードな山道ですから、歩いて見たいけど、ちょっとしんどいかなぁと思われるなら、JRまたは近鉄の奈良駅から柳生行のバスに乗り、バス停「円成寺口」または「忍辱山」で下りて逆に奈良へ向かって歩くことを進めます。また、宅地が途切れ、石畳の山道を15分ほど登ると、山ぎわに大日如来が転び、頭が東に下がっているので「寝仏」と云われている石仏があります。なお、ここら辺りの春日山原始林(国の天然記念物)は深い緑に覆われ、ちょっと雨が降るとすぐぬかるみ能登川の上流である小川も水が溢れるので「滝坂ノ道」と呼ばれています。
 夕日観音(ゆうひかんのん)

 「滝坂ノ道」は、平安時代の昔から、柳生を通って奈良と笠置を結ぶ道でしたが、山岳仏教信仰の場でもあったので、そのため「滝坂ノ道」沿いには数多くの石仏が存在しています。また、「寝仏」から石畳の道を約35m登ると、左側の崖上に麿崖仏「夕日観音」があります。鎌倉時代に彫られて、人の背丈ほどもある西向きの仏様です。夕日が当たるから「夕日観音」と呼ばれていますが、本当は観音様でなく如来様です。なお、石畳の道からそれて左側の崖を登って行くと、まず3体の地蔵菩薩像が彫られていて、そのすぐ上にも東向きに1体の石仏が彫られ、また、更に崖を西側へ廻り、直ぐ反対向きに上がると「夕日観音」です。
 「滝坂ノ道」の石畳と、シダ

 東海自然歩道、旧柳生街道「滝坂ノ道」は、また、シダ植物の宝庫でもあります。奈良県下の他の地域でなかなか見られないシダ植物が、ここでは豊富に見られて、その数は約130種類程にもおよんでいます。それらの主なものは、能登川を渡って民家が途切れた辺りで、石畳の坂道にさしかかる頃から早くも現れ、坂道の両側に葉の形が十文字形なので「ジュウモンジシダ」と呼ばれているシダが繁り、それが途切れると葉の裏と表が同じに見えて区別が付きにくい「リョウメンシタ」が続き、大きさが数十センチから1m近くあるものも見られます。また、これらに混じって葉が赤い「ベニシダ」なども繁っていてよく見られます。
 朝日観音(あさひかんのん)

 「夕日観音」を見たら、足元に注意しながら、また「夕日観音」の立て札が立っている石畳まで下りて、更に坂道を登ると小川に橋が架かっており、その橋を渡って振り返ると小川の対岸の岩肌に「朝日観音」が彫られています。なお、観音様と呼ばれていますけど本当は、観音様でなく、中央が弥勒菩薩、左右が地蔵菩薩の3体石仏です。鎌倉時代の中期に彫られ、文永2年(1265年)の銘があって、鎌倉時代の石彫を代表する石仏で、この下の「夕日観音」を彫った作者と同一人物の作と思われています。早朝、東に聳える高円山(たかまどやま、標高462.9m、大文字で知られている山)の頂きからさしのぼる朝日に真っ先に照らされるので「朝日観音」と名付られています。




奈良観光表紙に戻る  旧柳生街道「滝坂の道」周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む