山背(やましろ)古道  その19

 市辺押磐(いちのべノおしは)皇子故跡

 「西福寺」から「山背古道」を西へ向かい、小さな「郵便局」の角を曲がって北へ行き、突き当たったらまた西へ向かい、「奈良街道」へ出てまた北へ行き、「青谷橋」の手前で右(東)へ曲がって、「青谷川」沿いの土手を上流へ辿り、2つ目の「明神橋」を渡ると、左に石碑「市辺押磐皇子故跡」が建っています。ここら辺りを「城陽市市辺」と云い、円大臣・市辺押磐皇子は第17代履中天皇の子で、近鉄御所線「忍海駅」の側、「角刺神社」の祭神・飯豊(いいどよ)青皇女の兄。第19代充恭(いんぎょう)天皇によって謀刹され、一時孤児になっていた第23代顕宗(けんぞう)、第24代仁賢(にんけん)両天皇の父です。
 浄土宗、洞谷山「西生寺(せいしょうじ)」

 「市辺押磐皇子故跡」から、また「青谷川」沿いに下流へ戻り、次の橋の所で道路を横断して、住宅地へ入り、黒塗りの「矢部建築アトリエ」の前を西へ進んで、「消防器具庫」の前を通り、露天の「駐車場」の角を右(東)へ曲がって、住宅地内を緩やかにうねる道を北へ進んで、ちょっと右(東)側の奧へ入ると、「西生寺」があります。寺伝によると、室町時代末期1544年(天文13年)頃、縁誉弥念上人が村民の帰依によって創建し、1693年(元禄6年)知恩院の末寺になり、本堂に本尊「阿弥陀三尊」を安置しています。また、境内には城陽市「青谷梅林」の保存に尽力された「大西翁」の「頌功碑」が建っています。
 市辺(いちべ)天満神社

 「西生寺」から西の「山背古道」へ出て、また北へ進むと、住宅地を外れて、右(東)側の山際に「市辺天満宮」の鳥居が見えて来ます。鳥居をくぐって直ぐ右に「菅原道真」が梅を詠んだ歌碑が建っています。参道を入った奧に拝殿があって、その後ろの本殿は、覆屋で守られて、一間社流造、檜皮葺で、桃山時代の装飾と古い手法を合わせもつ本格的な造です。祭神は菅原道真ですが、由緒沿革はあきらかでありません。なお、当社の例祭は、毎年10月16日です。また、境内の東側丘陵上に古墳時代後期の石室をもつ古墳があり、境内の西側には、平成13年市の名木・古木の認定を受けた「杉」「モチノキ」が植わっています。
 浄土宗、天澤山「龍福寺(りゅうふくじ)」

 「市辺天満宮」から鳥居をくぐって車道へ出ないで直ぐ右へ曲がって北へ進み、ちょっと坂を登り大きな道を横切って更に「山背古道」を北へ進むと、東の高台に天澤山(てんたくざん)「龍副寺」があります。石段を上がると右に祠が2つあり、手前の祠は左手を頬(ほほ)に当てた「歯痛地蔵」、奧の石仏は右手に三鈷をもった「弘法大師」で、当寺は元、京都「黒谷金戒光明寺派」で、1607年(慶長12年)に雲誉(うんよ)上人が当地より西方で善光寺阿弥陀如来を本尊として開基し、1674年(延宝2年)現在地に移転。1690年(元禄3年)火災で本尊を失ったが東大寺より本尊の阿弥陀如来座像と供に寺号を拝受。




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