「水間(みま)峠」下の水間トンネル また、バス停「田原大野(おおの)」から県道80号奈良名張線を東へ向かうと、しばらくしてジグザグの坂を上がり、「水間トンネル」に至ります。平成11年3月23日に開通式が行われ、延長853.0m、幅10.5m、高さ6.3mで、施工は、間組、大日本土木、竹中土木の3社による特定建設工事共同企業体です。場所は、奈良市沓掛(くつかけ)町と水間町の間にある「水間峠」下にあり、狭くて急カーブが多く勾配のきつい坂道を対向車に注意しながら越した峠をトンネルによって所要時間が約2分30秒短縮され、冬場の降雪や凍結のとき、必ずと云っていいほど車が立ち往生し事故が発生していたのが解消されました。 |
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「大照寺跡」の村指定天然記念物「枝垂桜」 「水間トンネル」を抜けて坂を下ると、下水間行のバスは、次の次が終点です。そこから先へ行く時は、バス降車時に「乗り継ぎ」であることを申請すると、バス料金が継続されて安くなります。待ってたバスに乗り換えて、山辺郡山添村に入り、バス停「大橋」で下車し、「布目川」に沿って県道25号月ケ瀬針線を南へ行き、「大谷出(おやで)橋」の手前を右へ曲がって、布目川がカーブした所を右へ300m登ると、4月中旬ならエドヒガンの「シダレザクラ(別名イトザクラ)」が目の前に垂れています。本樹は、崖の上に育生して、地上1.2mで幹が四分枝しているので地上1mでの幹周が2.85m、樹高約10mです。 |
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「的野(まとの)大橋」の袂の「不動明王」 なお、1640年(寛永17年)山辺郡山添村的野区の「大照寺」常照院に宥盛和尚が住んでいて、檀家の人達に美しい桜をお参りの際に見てもらおうと思って植えられたと伝えられ、推定樹齢360年で、今は石碑「大照寺跡」が桜の前に建っているだけでお寺は有りませんが、毎年地元の人達が桜の廻りの草刈りや雑木の枝切りをして宥盛和尚の意志を守り継いでおられます。また、「大照寺跡」から「布目川」の所まで下りて、川沿いに南へ行くと、赤い「的野大橋」の南側の袂に苔むした大きな岩が置かれ、岩の面に小さな「お不動さん」が彫り込まれ、岩の両脇には青々とした竹の花立てに、何時でも生花が供えられています。 |
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山添村桐山の「戸隠(とがくし)神社」 「布目川」に架かる「的野(まとの)大橋」を渡らずに南へ行くと、都祁(つげ)村ですが、的野大橋を渡って、県道25号月ケ瀬針線を北へ戻り、なお更に「布目湖畔」沿いに約500mほど北へ行くと、桐山(きりやま)の大窪(おおくぼ)集落の外れで、道の左側に旧村社「戸隠神社」が鎮座しています。鳥居をくぐって上がった正面に春日造の本殿が建ち、祭神は手力男(たぢからおノ)命です。本殿に向かって右へ入ると小さな蔵があり、山添村指定有形民俗文化財の「湯釜」が納められています。室町時代の鉄製の湯釜で「永正十一年(1514年)六月吉日、切山庄九頭(くず)大明神宮小谷弥七願勧進」の銘があります。 |
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水公団「布目(ぬのめ)ダム」 「戸隠神社」から北へ行って、「桐山トンネル」を抜け、また奈良市側に入って更に布目湖畔沿いに北へ約2キロ行くと、やっと「水公団布目ダム」の看板が見えて来ます。平成元年12月に本体コンクリートの打設が完了し、48戸の家屋と40haの農地を水没させて、平成4年4月管理を開始。奈良市、都祁村、山添村の3市村に毎秒1.136立方メートルの水を供給できます。ダムの本体部は、堤高72m、堤頂長約322mで、重力式コンクリートダムですが、右岸鞍部(あんぶ)止水処理工は、堤高18.4m、堤頂長約128mのロックフィルダムになっていて、毎年12月第2日曜日に湖畔でマラソン大会があります。 |
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山添村指定名勝「牛ケ峯岩屋桝型岩」 「布目ダム」の堤頂を渡って(車は、ダムの下流を迂回して)湖畔の東側へ廻り、また山添村に入ると、湖岸道路から左(東)側の山へ約600m登った所に「牛ケ峯岩屋桝型岩」があります。この地域一帯を御山(みやま)と云い、中世以前の南都春日社境北野都杣の跡と考えられ、岩屋の磨崖仏は、弘法大師空海の作で、大師が「大日如来座像」を刻み終えると、その時使用したノミとツチを桝型(ますがた)の中に納めたと伝えられています。なお、枡型は、岩屋から右へ少し登った所の屹立(きつりつ)した断崖絶壁に切り込みがあり、古来2つの岩を大師岩と称し、桝型岩が節理により2つに割れて転がり落ちたのが岩屋です。 |