融通念仏宗の郷「安堵町」  その1

 「天理軽便鉄道」の橋げた跡

 JR大和路線「法隆寺駅」南改札口を出て、東へ向い、興留街道の踏切を渡らず、レンタサイクルの横をそのまま真っ直ぐ進んで、「厳島神社」の裏側、斑鳩町立あわ保育園に突き当り、左に折れて、北へ向うと畑の中を通って、こんもりとした木立の中を進む道が「天理軽便鉄道」の跡です。大正7年〜昭和27年、法隆寺駅〜丹波市(天理市)まで、大正時代にタンク機関車が走り、昭和になって、ボンネットバスを改造したレールカー・ガソリン機関車が走っていました。先に進んで、JR大和路線の下を潜り、県道109号天理斑鳩線へ出て、東へ向い、富雄川の安富橋を渡ると、踏切から見える木戸池に橋げたが残っています。
 善照寺(TEL 0743-57-2154)

 安富橋から富雄川を上流へ辿ると、昔、在原業平が渡った「新業平橋」が架かり、橋と反対方向に「業平道」を東へ向い、JR大和路線の踏切を渡ると、斑鳩(いかるが)町から安堵(あんど)町へ入って、南へ向うと直ぐ右に折れた奥が、浄土真宗本願寺派龍華山「善照寺(ぜんしょうじ)」です。境内に蓮如上人と親鸞の銅像が立っているけど、失礼ながらそれよりも立派なのが樹齢250年の「冨生(ふしょう)の松」で、境内の中央に辺りを払ってデンと植わっている見事な根上がりの松です。なお、善照寺さんは、明治初年に、安堵町で初の小学校「明倫館」を開かれた所ですが、今の安堵町には高等学校が1校もありません。
 東安堵の「広峰神社」

 「善照寺」から保育園の横を通って南へ向い、直ぐ角の所で右へ折れて北へ進むと、奥に鳥居が見えて、左にコンクリート枠の「業平姿見の井戸」があるが、水面まで3mもある深い井戸で、なお、境内に羽根突きの羽根の球になる実が秋に生る無患子(むくろじ)の巨樹が植わり、慶応3年(1751年)の石灯籠も建っているが、ここは聖徳太子が夢で五色の雲がたなびき、霊剣が現れるのを見て、素盞鳴命が牛頭天王となって顕現したと思い、宮を建て、晩年を過ごされた「飽波(あくなみノ)宮跡」と伝える「広峰神社」です。覆屋に覆われた本殿は春日造、東面する拝殿は、トタンの壁で、明治初年奉納の武者絵額があります。
 東安堵の「飽波神社(旧飽波宮跡)」

 また、「広峰神社」から南へ向い、県道109号線へ出た所の交番が、元「天理軽便鉄道の安堵駅」の跡で、そこから更に細い道を南へ入って行くと、「殉国碑」の建った所の南隣が「飽波(あくなみ、安久波)神社」で、上宮遺跡、および、広峰神社と共にここを聖徳太子の「飽波宮跡」とも伝えて、767年(神護景雲元年)4月26日稱徳天皇が行幸され、江戸時代以降は、安堵庄総社、東西両安堵の氏神で、本殿は、春日造、檜皮葺、県有形文化財です。なお、境内末社として、住吉、水分、神明、春日社等も鎮座し、県有形民俗文化として、雨乞いの「南無手(ナモデ)踊り」の衣装等、その関係資料115点を保存しています。
 伝聖徳太子旧蹟「御幸石」

 なお、「飽波神社」の前の道は、聖徳太子が従者の調子丸を連れて、愛馬の黒駒に乗って斑鳩宮から飛鳥の「小墾田宮跡」へ通われた太子道で、境内の南側に太子がお座りになった「御幸(みゆき)石」があり、本殿の裏に、太子ゆかりの影向石(ようごうせき)もあり、社前に寛永十二年(1635年)の石灯籠も建っていますが、また、太子がある時、この辺りを黒駒に跨ってお通りになった時、突然突風が吹き、雨が降り出し、水が満々と道に溢れましたが、何処からともなく何万羽の雀が飛来して、太子の前で舞ったので、太子がその様を見て大層喜ばれ、その後、当神社では今でも、雀を使いとして保護するようになりました。
 富本憲吉記念館(TEL 0743-57-3300)

 「飽波神社」から更に東へ行くと安堵郵便局の隣に融通念仏宗妙智山「大寶寺」があり、その直ぐ南方に「富本憲吉記念館」があります。明治19年6月5日ここで誕生された近代陶芸の巨匠、第一回の人間国宝「富本憲吉」の生家を改造した記念館で、木造平屋建一部二階の本館、土造二階建の展示室、土蔵二階建の第二展示室があり、「残された作品を我が墓と思われたし」と遺言された作品の数々、陶器、絵画を始め、書簡や関係図書類等の資料を奈良、東京、京都時代に分けて展示されています。なお、彼は東京美術学校図案科を卒業し、英国に留学後、焼物研究に入り、模倣でない優れた意匠のものを焼成して、昭和38年没。
 歴史民族資料館(TEL 07435-7-5090)

 「富本憲吉記念館」から北へ向い、安堵町役場の方へ行く途中に「安堵町歴史民族資料館」があります。当館は江戸時代代々村の庄屋で、幕末の天誅組と親交のあった今村文吾、明治20年大阪府から奈良県を独立・再設置に導いた今村勤三、大阪帝国大学第5代総長を勤め、文化功労者の今村荒男(あらお)氏らの生家(479坪の敷地に木造2階建母屋1棟、木造倉庫1棟)を転用・活用し、町の歴史や伝統、民俗資料を展示・伝承する場として、平成5年10月に開館した施設で、安堵町関係の古文書資料や、安堵町伝統産業「灯芯」関係資料、江戸時代中期からの安堵町地域の民俗資料、天理軽便鉄道の模型等を展示しています。




奈良観光表紙に戻る  安堵町周辺の地図を開く  前のページに戻る   次のページに進む