融通念仏宗の郷「安堵町」  その2

 極楽寺(TEL 0743-57-2231)

 「富本憲吉記念館」から東へ行くと、真言宗国分寺派紫雲山「極楽寺」があります。587年(用明天皇2年)聖徳太子創建の古刹ですが、戦国時代末、戦火に遭い、東之坊、西之坊、南之坊、角之坊など6ヶ坊を焼き、以後衰え、1596年(慶長元年)僧の実然(じつねん)が東之坊1坊を再興して、少し盛り上げたが明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で再度衰退し、多くの仏像や経典が流失しているが、今は近年再建されたコンクリートの本堂が昔の東之坊の跡に建ち、本尊は、国重文の「阿弥陀如来坐像」で、また、968年(安和元年)書写の大般若経六百巻が、1400年頃と1680年頃に2度修復して、保存されています。
 国重文の本尊「阿弥陀如来像」

 なお、「極楽寺」の本尊「木造阿弥陀如来坐像」は安堵町にある2躰の重文の1つで、像高139cm、伏目のやさしく、満月のごとくおだやかに整った顔容をされ、光背の中央に大日如来坐像を置き、柔かい衣のヒダの彫り出しなどから、本尊が仏師定朝出現以後の藤原時代の秀作仏であることが窺え、また、当地周辺において最も円熟した藤原様式の半丈六仏と云っても過言ではなく、大正11年に国宝(現在は国重文)に指定されています。また、「極楽寺」では、平安中期の「聖観音菩薩立像」や、大日如来坐像、不動明王坐像も安置され、境内に弁天さんが祀られ、境内を出て南へ向うと、角に「願力地蔵」が祀られています。
 安堵町岡崎の「子守神社」

 また、東へ行って、西名阪自動車道の下を潜ると、バス停「岡崎」から南へ入った辺り、山門の横に「薬師如来」がいる融通念仏宗の「妙楽寺」があります。更に「妙楽寺」からまた南へ行くと直ぐ、こん盛りとした木立の中に「子守神社」が鎮座しています。東の大和郡山市から流れ込む「岡崎川」の治水を祈念して吉野の「子守神社」から勧請し、狛犬が前に立つ明治19年建立の「拝殿」後方に建つ本殿は、春日造、檜皮葺。祭神は、1767年(明和4年)中宮寺寄進の金幣を御神体にされた石巣比売(い)わすひめ)命。なお、境内末社「水分社」は、水神画像が御神体で、江戸時代に古座、新座の宮座が祭祈を掌握しました。




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