融通念仏宗の郷「安堵町」  その3

 重文「中家(TEL 0743-57-2284)」の内堀

 「子守神社」から東へ行って、「岡崎川」の「東口橋」か、または、「安堵橋」を渡り、「岡崎川」からちょっと離れて、川と平行に右へ曲がると、こん盛りとした森が底の浅い小川のような外堀で囲まれ、更に内堀の中に典型的な環濠屋敷、重文の中家(なかけ)住宅があります。内堀に架けられた橋を渡ると、長屋門で、広大な屋敷構えを持ち、二重の濠に囲まれ、平城式の形をとり入れて武家造と農家造を兼ね、大和の国中(くんなか)地方においては、稀に見る、珍しい民家です。見学は500円、9:00〜17:00ですが、前日までに予約が必要。また、8月1日〜8月31日と、12月15日〜1月15日は非公開です。
 重文「中家」住宅の長屋門

 また、「中家」の先祖は、三重県鈴鹿の土豪「足立氏」と称し、足利尊氏に従って大和へ入り、1391年(明徳2年)に中氏と改め、筒井一族となって後、益々その勢力をふるい、後に武士から帰農し、主屋は中央の大屋根が急勾配の茅葺で、その裾が瓦葺、両妻面を漆喰の白壁とする典型的な大和棟で建てられて、1659年(万治2年)頃の創建です。なお、新座敷には、安永2年(1773年)建立の棟札があって、また、内堀南面に架けられた長屋門の前にある橋は、夜毎に板を引き外して唯一つの入口を防備し、この部分を監視した物見窓が門長屋の下男部屋に設けられ、更に「中氏」の一族「石田氏」の住宅が西隣にあります。
 重文「中家」住宅の持仏堂(華蔵院)

 なお、「中家」の主屋の斜め前が新座敷で、勅使の間と蒸し風呂を備えて、主屋の西側に米蔵、牛小屋があり、裏が中庭で、その東側に新蔵、北側に乾蔵と米蔵があり、米蔵を通って裏の内堀を渡り、竹薮に沿って左(西)へ向い、突き当って左折し、内堀沿いに南へ向うと、「中家」の「持仏堂」へ至ります。中氏一族がその祖先を弔うため、1734年(享保19年)に菩提寺として建立され、北隣に僧侶の館、南隣に庫裏を備え、本堂に本尊「阿弥陀如来立像」を安置し、向って右に薬師如来坐像、左に愛染明王坐像、千手観音、釈迦誕生仏、そして、弘法大師坐像、中家の位牌などを安置され、南側の潜戸からも出入り出来ます。
 「石田氏」の旧「多聞城の門」

 また、「中家」の西側に年貢米の米蔵があったが、今ではそこに石垣のみが往時の面影を残して、なお、「中家」の西隣、内堀内の半分が「中氏」の一族でもある「石田氏」の敷地で、「中家」の表門の前から西へ廻ると、2つの常夜灯籠の建っている「公民館」の奧に「石田氏」の門がありますが、これは郡山城主であった筒井順慶が「石田氏」に譲り渡した「多聞城の門」で、戦国時代の「石田氏」は、同じ内堀環濠内に住む「中家」と供に「筒井氏」と姻戚関係をもっていた在地武士でしたが、中氏は筒井氏の伊賀国替に同行せず、窪田に残って、1695年(万治2年)武士から大地主になり、帰農して現在に至っておられます。




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