水と緑の「上北山村」  その5
 東大台回遊コース「日出ヶ岳」

 大台ヶ原は、「上北山村」にありますが、「上北山村」の中心部から入るより、通常「川上村」から国道169号線「新伯母峰トンネル」へ入らず、トンネルの手前で、県道大台ケ原公園川上線(大台ヶ原ドライブウェイ)へ入って、伯母ヶ峰(標高1262m)から経ヶ峰(標高1528m)等の尾根道を通り、日本百名山「大台ヶ原」の駐車場まで車で行けます。なお、「大台ヶ原ドライブウェイ」は、冬期通行止ですが、4月中旬〜11月中旬、近鉄吉野線「大和上市駅」〜「大台ヶ原」行の直通バスが運行され、1時間45分で「大台ヶ原」駐車場へ至り、山上に物産店、食堂、ビジターセンター(TEL 07468-3-0312)があります。
 東大台回遊コース「正木ヶ原」

 大台ヶ原は駐車場から東大台回遊コース約9キロ、西大台回遊コース約9.5キロの2コースがあり、東大台回遊コースを右回りに廻ると、ビジターセンターの横から入って右へ進み、コンクリートの石段を上って、分岐点を左へ折れ約300m登ると、大台ヶ原の最高峰「日出ヶ岳(標高1695m)」です。山頂の展望台から360°視界をさえぎるものはなし、西に大峯連峰の山上ヶ岳、稲村ヶ岳、八経ヶ岳、東に白く波立つ熊野灘とダイナミックでワイドな眺望で、更に東へ行くと、「大杉谷」へ下るが、「日出ヶ岳」から下って、真っ直ぐ進むと「正木峠」、トウヒやウラジロモミの立ち枯れた亜寒帯林を下ると「正木ヶ原」。
 「牛石ヶ原」の神武天皇の銅像

 原生林の倒木とイト笹のジュウタンが美しい平原大地の「正木ヶ原」を過ぎると「尾鷲辻」で、右へ折れ北へ向うと、元のビジターセンターですが、真っ直ぐ東へ約900m辿ると「牛石ヶ原」で、右側に「神武天皇の銅像」が立っています。 当地は神武天皇東征の砌、八咫烏の先導で熊野から北上して来て、国見をされた所で、昭和の初め、大台教会の古川翁が全国を廻って勧進され、重さ10トンの銅像を発注し、分解して鋳造元の大阪から三重県尾鷲を廻って木材運搬用ケーブルで途中まで引上げ、後は人夫20人で70日かかって引上げ、費用はコーヒー1杯10銭の時代、当時の値段で制作費が3千円、輸送費3万円でした。
 東大台回遊コース「牛石ヶ原」

 なお、「神武天皇の銅像」の横、イトザサの群落の中に「八大龍王影向池」があり、高地で小川も無いのに常に水が溜まっており、当地は實利行者修行地でもあり、また、回遊道の左側に魔物を封じ込めたと云う牛が寝ている様な大石があるので、この辺りを「牛石(うしいし)ヶ原」と云われていますが、この辺りでは野生の鹿もよく見られ、ミヤコ笹の広大な平原を過ぎると、モスフォーレストと呼ばれるコケも生え、幻想的な雰囲気を演出するトウヒの原生林が続き、年間降雨量が5000ミリと云う世界有数の雨水量を誇る吉野熊野国立公園「大台ケ原」は、多量の雨が湿潤な気象条件を生み出し、真夏でも涼しく感じられます。
 迫力満点、圧巻の「大蛇ー」

 更に、西へ行くと分岐点で、右(北)へ向かうと、「シオカラ谷」への道ですが、真っ直ぐ(西へ)下ると、両側が深い谷で、細い尾根道の先が大台一の絶景地点「大蛇ー(だいじゃぐら)」です。眼下は目もくらむほどの大絶壁で、遠方に山上ヶ岳、弥山、釈迦ヶ岳と続く大峰山脈が連なり、眼前の「滝口尾根」には日本の滝百選にも選ばれた「中ノ滝」も望まれ、初夏は新緑で、秋は紅葉が見事です。また、シャクナゲの生い茂る道を分岐点まで戻って、北へ進むと、大石がゴロゴロの急な下り坂、滝見尾根の「シャクナゲ坂」で、シャクナゲの大群落が見られ、種類はツクシシャクナゲ、花の見頃は、毎年5月中旬〜6月初旬です。
 東大台回遊コース「しおから吊橋」

 なお、「シャクナゲ坂」を下ると、渓谷美の「シオカラ谷」です。また、「しおから吊橋」を渡ってから急坂を登り、大きく右に折れて「大台山の家」の横を過ぎると、始めの「大台ヶ原」駐車場は直ぐで、以上が「東大台回遊コース」のあらましです。更に谷渡りの多い「西大台回遊コース」は、「東大台」程人が入らず、神秘的な原生林で、出来たら1人で回遊しないで現地を熟知した人と一緒に廻った方がよく、スズタケの林と、原生林を縫って進み、開拓跡等では、「東大台」と一風違ったムードが味わえて、バイケイソウ等の野生植物があちこちに生え、野鳥も多く、ナゴヤ谷ではキツツキが木にあけた穴が無数に見られます。
 西大台回遊コース「大台教会」

 「西大台回遊コース」は、大台ケ原の駐車場入口の横から、大台ドライブウェイと平行に北西に向って笹藪の中を進むと、直ぐに木立の中の「大台教会」に突き当たります。なお、大台教会は、「神習教大台ケ原大教会」が正式名称で、明治24年6月24日に美濃(岐阜県)出身の神道家古川嵩(ふるかわたかし)氏によって「魔物の棲む山」として誰も近寄らない人跡未踏の大台が開山され、彼が明治32年8月この地に教会を建て、以後この山頂に定住して開発されると、徐々に登山者が増えたが、それでも昭和の初めまでは専門家の山で、古川氏は下界から閉ざされた厳冬の間もここで暮らし、生涯を登山者の救済に勤めました。
 松浦武四郎分骨碑

 「大台教会」の前を左に折れて、階段を下り、また右に折れて石橋を渡って進み、2つ目の三叉路を右へ向うと、小川が流れているちょっと開けた「ナゴヤ谷」に至り、小川を渡った直ぐの所で「松浦武四郎分骨碑」の表示板が建っています。碑はここから更に崖を登った所にありますが、北海道の名付け親で、更に幕末における蝦夷、樺太、千島の探検家として第一人者、伊勢国須川村(三重県一志郡三雲町)出身の松浦武四郎は、明治18、19、20年と3回に渡って大台ケ原に登り、調査し、開拓を志して4回目の登山を企てながら明治21年71歳で没して、ここ大台ケ原に生前の氏の遺志により、分骨追悼碑が建てられています。
 高野谷の「開拓跡」

 「ナゴヤ谷」から更に、昭和36年開通の「大台ドライブウェイ」の下を平行に「西大台回遊コース」を西へ向い、「中ノ谷」を渡って、夏ならトリカブトの花が足元に咲いているブナの大原生林の中を進むと、やがて「七ツ池跡」で、更に進み「ヤマト谷」を渡ると、ちょっと開けた「開拓跡」です。明治の頃、この地「高野谷」を開拓し、蕎麦、稗、大根、馬鈴薯を蒔いたが、大根と馬鈴薯のみ生育し、他は結実せず、そのため開拓が廃され、現在「開拓跡」の地名だけを残し、なお、「高野谷」は、その昔に空海が大台ヶ原に寺院を草創せんとしたけど、余りにも深山のため断念して、今の高野山に変更した名残と言われています。
 「ヤマト谷」のつり橋

 「高野谷」小川を渡ると、次が「ワサビ谷」で、三叉路を右へ行くと、大台ドライブウェイ「経ヶ峰(標高1529m)」の頂上へ向いますが、左(南)へ行くと、また三叉路があり、左に折れず真っ直ぐ行くと展望台への道で、展望台を下ると、逆峠から小処温泉へ至りますが、展望台から少しもどって、三叉路を右(東)へ折れると、小川が2つ、それぞれに赤いつり橋が架かり、ここらに国特別天然の「オオサンショウウオ」や、小型の県天然「大台ヶ原サンショウウオ」が生息し、また、運が良ければ鹿や国特別天然の「カモシカ」を見ることが出来ます。なお、つり橋を渡って急な石ころ坂を登り、東へ向うと大台駐車場です。



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