「笠置山」  その3

 「笠置寺」の「正月堂」

 「笠置山」入山口から北へ行くと、左の「大師堂」へ上がる石段の下へ小さな「笠坊之墓」があります。「笠やん」は、平成6年2月2日に亡くなった猫で、生前は頼まなくても「笠置山」の道案内をしました。また、「笠坊之墓」を左足元に見て、紅葉の下を北へ進むと「正月堂」が見えて来ます。なお、奈良の東大寺に、「月堂」はありますが、「正月堂」はなく、「正月堂」は、ここ「笠置寺」と、三重県島ケ原村の「観菩提寺」にあり、「笠置寺」の「正月堂」は、752年(天平勝宝4年)東大寺の実忠和尚によって建立され、現在奈良の東大寺「二月堂」で行われている修二会(お水取り)が最初に行われた所です。
 「笠置寺」の本尊「弥勒大磨崖仏」

 「正月堂」へ向かって左脇の崖に「弥勒大磨崖仏」があります。「笠置寺」の本尊仏で、高さ20mの中15mの石面に「弥勒如来」が彫刻されていましたが前に建てられていた「禮堂」が、1331年の「元弘の乱」を始め、三度の火災で焼けた際、その都度石面の仏像も火にかかり磨滅してしまい、今は巨大な光背の形だけを残しています。なお、元あった「弥勒大磨崖仏」の彫刻は、奈良時代に奈良の東大寺の良弁と、実忠の両和尚の指導のもとに大陸から渡来した人々によってなされたようで、切り立つ岩の表面に彫られた「弥勒大磨崖仏」は、日本最大の天人彫刻像と伝えられ、平安時代は笠置詣りで多くの信仰を集めました。
 「笠置寺」の「十三重石塔」

 また、「弥勒如来大磨崖仏」に向かって左側の所に「十三重石塔」が建っています。「元弘の変」による戦死者の供養塔ではないかとも、また、解脱上人が母の供養のために建てた石塔ではないかとも伝えられていますが、いずれとも解せない「十三重石塔」です。なお、元はここの所に、1196年(建久7年)解脱上人の懇願によって、源頼朝が建立した木造本瓦葺の「十三重塔」が建てられていましたけど、1331年(元弘元年)「元弘の変」で焼失してしまいました。その後、また鎌倉時代に現在の「十三重石塔」が建立され、今は重要文化財に指定されて、一段目の四面に薬師、釈迦、弥陀、弥勒の四方仏が彫られています。




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