葛城山および葛城古道  その3

 葛城山ロープウェイ(TEL 0745-62-4341)

 近鉄御所駅から約4キロ、途中から少し急な坂道をバスで上って近鉄御所駅から約15分で葛城山ロープウェイ前です。そして、ワイドビューのゴンドラに乗り、眼下に広がる大和盆地を眺めながら6分で山上駅に至るけど、健脚向きには、ロープウェイ前駅の横から、3.3キロのちょっと急な登山道を登ると、途中に役行者が修行をした「櫛羅の滝」、「二の滝(行者の滝)」が在り、葛城山山頂に辿り着いたら、山頂周辺には国民宿舎、キャンプ場、遊歩道が整備され、春は「一目百万本」のツツジの群落、夏は大阪平野と奈良盆地の夜景を見て納涼、秋は高原のススキの大海原、冬は樹氷・霧氷と四季それぞれに味わいがあります。
 不動寺(0745-62-2471)

 葛城山ロープウェイ「葛城登山口駅」の直ぐ横に曹洞宗清瀧山戒那(かいな)院「不動寺」があります。役行者が葛城山で修行を始めた時、第一番の坊として堂を建てた所で、開山空海が「不動明王」を安置し、戦国時代櫛羅藩(くじらはん、旧新庄藩)藩主永井氏の菩提寺で、永井信濃守尚長の木像や、楠正成の持仏があり、1720年頃(享保年間)宝山寺の亮観律師が中興して真言律宗の不動院とし、1865年(慶応元年)杉浦半夢が廃寺となっていたのを再興し、以後宗を禅に改め、山城興聖(こうしょう)寺(宇治市)に属して、本尊は「釈迦如来」で、他に「歓喜天」、「聖観音立像」、「役行者像」等を安置しています。
 役行者が修行をした「櫛羅(くじら)の滝」

 「不動寺」から安位川に沿って細い山道を登ると、途中に滝が2つ在り、その1つ「櫛羅の滝」は、弘法大師が此の地を訪れて、天竺のクジラの滝によく似ているので供尸羅(くじら)と名付けたが、その後、領主永井信濃守が「供尸」は「供に屍」と書くので良くないと「供尸」の2字を「櫛」に改めました。また、この滝は「尼ケ滝」、「不動滝」とも呼び、滝に浴すると、不動明王の功徳により脳病に良く効くと云われ、毎年7月6日「滝祭」で、山伏姿の一行が四方に竹の柱を建て、縄を廻し、祭壇をしつらえ、柴灯(さいとう)護摩を焚いて、法螺貝の合図で、縄を張った結界(けっかい)の内と外の山伏が問答を交わされます。
 婿洗(むこあら)いの池

 「櫛羅の滝」から少し登った所に、藤原時代に大変栄えた安位寺(あんいじ)と云う大きな寺が在ったと云われ、今も石畳や石垣が残り、更に杉木立の山道を登ると「行者の滝」が在り、そして、山頂付近の直ぐ下に「婿洗いの池」が在ります。その昔、葛城山麓の村人は山から流れ落ちる自然水で農業を営んでいたが干ばつのとき、ここに祀られていた水波能売神竜神を怒らして雨を降らせるために、祠を叩き壊し池へ投げ込んでいました。そして、江戸時代のある時どういう訳か村へ縁組して来た1人の婿養子を竜神の祠と共に池へ投げ込み荒縄でごしごし洗って、半死半生の目に遭わせ、それからここを「婿洗いの池」と云います。




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