河合町から、かぐや姫の里・広陵町へ  その6

 「竹取翁」と「讃岐(さぬき)神社」

 「竹取ノ翁」と「讃岐神社」の関係は、平安時代に書かれた「竹取物語」に登場する竹取翁の出身部族が讃岐氏で、持統〜文武朝廷に竹細工を献上するため、讃岐国(香川県)の氏族・斎部(いんべ)氏が大和国広瀬郡散吉(三吉)郷に移り住んだらしく、翁の讃岐氏が居た所は、「和名抄」の大和国広瀬郡に散吉郷があり、「大和志」では、「散吉郷廃存済恩寺村」として、現在の北葛城郡広陵町大字三吉(みつよし)の斉音寺集落付近を比定し、又この付近に今も「藪ノ下」「藪口」「竹ケ原」等という地名があり、真竹孟宗竹等の竹林が多数残っていて、三吉の北に鎮座している延喜式「讃岐神社」がこれに当たるとされています。
 新家(しんけ)長福寺(TEL 0745-55-0490)

 「讃岐神社」の参道を南へ出て、西へ200mほど行くと広陵町三吉に真宗大谷派「新家長福寺」があります。昔から境内に桜が多く、「桜御坊」と呼ばれて親しまれていましたが、太平洋戦争などの時代を経てすたれてしまいました。しかし、昭和44年もう一度復活させるさせるために檀家の方々が八重桜の苗木を70本植えて、消毒、施肥、除草と丹精こめて育て、平成10年の台風で再び半数が倒れましたが、檀家の熱意に桜守の「佐野藤右衛門氏」が協力して下さる事になり、八重桜の苗木30本を分けて下さいました。現在、他所の桜が咲き終わった後、「松月」「関山」「一葉」「御衣黄」「祇園しだれ桜」等が咲きます。
 陵墓参考地「新木山(にきやま)古墳」

 「新家長福寺」の山門を出て、西へ行くと広陵町の「町立図書館」が直ぐで、そこを南へ曲がって行くと道の両側に古墳があり、東側の大きな前方後円墳が、「新木山古墳」です。全長約200m、後円部の直径117m、前方部の幅119mで、西側のくびれ部に造出しを持っています。現在は、三吉(みつよし)陵墓参考地となっており、立入が禁止されていますが、円筒埴輪と葺石がある事が記録され、新木山古墳から出土した勾玉、管玉等は宮内庁で保管されています。資料は乏しいけれど古墳時代中期の築造と考えられ、巣山古墳と共に「馬見古墳群」の中核をなす古墳で、後円部西側に円墳の陪塚(ばいちょう)があります。
 県指定史跡「三吉(みつよし)石塚古墳」

 「新木山古墳」の外堤の西側に道を隔てて東向きに造られた帆立貝式古墳が「新木山古墳」の陪塚と考えられる史蹟「三吉石塚古墳」です。後円部に短い前方部が付く形で、周囲には馬蹄形の濠が巡っています。墳丘は、後円部が2段に造られ、第一段目には、円筒埴輪列に朝顔形埴輪を置いた埴輪列が巡り、後円部の頂上には、蓋(きぬがさ)、短甲(たんこう)、家等の形像埴輪が置かれていました。墳丘と周濠部分の内側に10〜30cmの葺石を施し、特に後円部の葺石が縦一列に並ぶ所があり、この葺石の列石間が1つの作業単位で、作業方法を示す基準と考えられています。




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