山の辺の道  その17

 大和古墳群の1つ「波多子塚古墳」

 「大和神社」から真東の「山の辺の道」へ戻ると、この辺り天理市萱生(かよ)町一帯は、奈良盆地でも有数の古墳密集地帯で、大和(おおやまと)古墳群を成し、「萱生の千塚」と呼ばれ、「山の辺の道」沿いの西側に段々畑の「波多子塚(はたごつか)古墳」があります。全長約144mで前方部が開かない古い形態の大型前方後円墳で、埴輪の原形である特殊器台型埴輪の破片が先に見つかっていますが、平成10年の発掘調査では、後円部の北側に濠の跡が見つかって、葺石(ふきいし)と多量の埴輪も発見され、3世紀後半築造で、古墳時代初期の古墳と推定されています。
 刀根早生柿発祥の地

 「波多子塚古墳」を北に見ながら「山の辺の道」を外れて少し西へ行くと、天理市萱生町刀根に柿畑があり、この辺の渋柿は刀根早生(とねわせ)優良種で、昭和55年地元の淑民氏によって発見され、品種登録されました。柿は古事記、日本書紀にも記載され、学名 Diospyros kaki で、「刀根早生柿」は、「富有」「平核無」と共に日本の柿の三大品種の1つで、食味や色合いが優れ、渋柿の持つ果肉の柔らかさとジューシーな感覚が消費者の味覚にマッチし、根強い人気と支持を受け、奈良県を始め、他県でも普及し、今では全国で2300ヘクタール栽培され、柿産業を大いに発展させ、平成11年7月顕彰碑が建てられました。
 大和古墳群の1つ「西山塚古墳」

 「波多子塚古墳」から更に真っ直ぐ南へ少し歩くと萱生(かよう)環濠集落で、五又になった角の所で「山の辺の道」に沿った濠の向こうに写真の様な丘が見えます。云われなかったらなら唯の蜜柑畑ですが、これも歴とした「西山塚古墳」で、主軸を南北に向け後円部をここらでは珍しく南に置いた前方後円墳で、全長114m、後円部の直径約65mで高さ10m、前方部幅約65mで高さ約7m、前方部2段、後円部3段に築造され、周囲に幅約20mの馬蹄形の周濠が巡らされていますが、古墳自体が傾斜地に築造されているため4つの池に分けています。埋葬の主体はまだ発掘調査がなされていないため明らかで有りません。
 大和古墳群の1つ「下池山古墳」

 山の辺の道を更に南へ向い、五社神社の四角を右に折れて西へ100m行くと「下池山古墳」で、なお、R169のバス停「成願寺」からなら東へ徒歩5分です。大和古墳群の中央に位置し、全長120mの前方後円墳で、古墳時代前期、4世紀中頃築造と見られ、平成7、8年の発掘調査で竪穴式石室に保存状態の良い木棺が安置されていたが、副葬品は盗掘し、僅かに石釧(くしろ、手首や臂に付ける輪状の装身具)と、透き通った緑色ヒスイの勾玉2点が出土し、石室外に国内最大級大型銅鏡、内行花文鏡、径37.6cmがあり、卑弥呼が魏に送った幻の班布「倭文(しどり、絹と麻の縦糸混合布)」の断片が付着していました。




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