北山の辺の道  その8

 「ハナキレ地蔵」

 「正暦寺」から1キロばかり続く楓の参道を下って柳茶屋バス停まで出る途中に写真の様なお地蔵さんが沿道に立っています。中央のお地蔵さんは鎌倉時代に作られたもので、像高は163cm、円光を背にする丸彫の立像ですが、顔と肩と腰の部分に、昭和37年吹き荒れた第2室戸台風が関西を襲った時、地蔵堂と共に倒れ少し折損しています。その時、鼻ももがれたのか、可哀想に「ハナキレ地蔵」と呼ばれています。それでも木彫仏の様に繊細に彫られて、優れた技法の石仏です。また、向かって左側の「南無阿弥陀仏」と彫られた、六字名号碑は、高さ128cmで、背面に慶長十二年(1607年)と読める刻銘が在ります。
 弘仁寺「奧之院の不動尊」

 バス停「柳茶屋(正暦寺口)」の三叉路まで出ると角に高樋町の青年団が建てられた時計台があります。また「東海自然歩道」の標識も在り、そこに書かれた「弘仁寺・天理」の方向へ向かって進むと、弘仁寺の「奧之院」です。と云っても写真の様な「不動尊」が祀られて、両脇の薄暗い所に「阿伽水ノ井戸」があるだけです。でも、弘仁寺「奧之院の不動尊」さんは、弘法大師自ら三鈷杵(さんごうしょ)で以て彫られた奧の院の本尊で、弘仁寺の東北鬼門に安置され、また同時に「阿伽水ノ井戸」も空海さんが掘られてから、実に千二百年今日に至るまで水が涸れることが無く、渾々と涌き出し眼疾、諸病に霊験あらたかな水です。

 弘仁寺(TEL 0742-62-9303)

 「奧の院」から山道を上がると、高樋(たかひ)の虚空蔵さんと呼ばれる高野山真言宗虚空蔵山「弘仁寺(こうにんじ)」です。810年(大同5年)空海が虚空蔵山(標高200mの高樋山)に明星が落ちるのを見て、虚空蔵寺を建立、重文「木造明星菩薩立像」を彫って安置したのが始りで、814年(弘仁5年)嵯峨天皇が夜毎に光る奇瑞の霊山を夢に見て勅願し、小野篁が創建して、年号を取って「弘仁寺」とされ、本尊「虚空蔵菩薩像」は伊勢の浅熊、福島の柳津と共に日本三大虚空蔵尊で、昔は多くの堂宇が在ったが、1572年(元亀3年)松永久秀の兵火で殆ど焼失して、1696年(元禄9年)本堂が再建されました。




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