室生と大和富士周辺  その2

「室生古道」と「伊勢本街道」

 国道369号線のバス停「高井」の角に3本建っている「道標」の内、右の2本は大正、昭和のものですが、左端の1本は、1800年(寛政12年)のもので、「左、室生山女人高野」と彫られ、左へ200m上がって、矢谷川の「頭矢橋」を渡った所の道標は、「左、仏隆寺。右、いせ本街道」と彫られています。左へ行くと、仏隆寺を経て室生寺へ至る「室生古道」で、右へ上ると、脇に旧旅籠の「松本家」が今も建っている「伊勢本街道」です。1772年(明和9年)3月国学者の本居宣長も「菅笠日記」の旅で、連れと共に吉野から帰る時、伊勢本街道を通り「赤羽越え」をして、伊勢国松阪の生家へ戻ったと記しています。
仏隆寺(TEL 0745-82-2714)

 室生古道を矢谷川の渓流に沿って登ると、光明ヶ岳の南麓に真言宗室生寺派摩尼山「仏隆寺(ぶつりゅうじ)」があり、850年(嘉祥3年)空海の高弟・堅恵(けんね)が県興継(あがたおきつぐ)を壇主として創建したが、それ以前に室生寺の基礎を築いた興福寺別当修円が住し、室生寺の南門と云われ、モチヅキ桜の横、脇に彼岸花が咲く197の石段を登った所の本堂は昭和の改築です。本尊は聖徳太子作の「十一面観音立像」で、他に不動明王像、堅恵像、弘法大師像や、空海が唐から持ち帰った茶臼等の重宝が残され、本堂の裏に修円の墓と伝える元徳2年(1330年)の銘がある十三重石塔が相輪を落して建っています。
仏隆寺の国重文「堅恵の石窟」

 本堂の東隣に明治の初めまで仏隆寺の鎮守で龍神を祀っていた「白岩(しらいわ)神社」が在りますが、今は独立して須勢理比売命(すせりひめのみこと)を祀っています。また、「白岩神社」の後方には写真の様な宝形屋根をもつ平安時代前期の築造と伝えられる国重文の「石窟」が在り、堅恵の廟とされています。「石窟」の内部は古墳に見られる羨道(せんどう)と玄室(げんしつ)からなっていて、更に玄室の奧には鎌倉時代の五輪塔が安置されています。なお、空海の高弟の堅恵(けんね)は、弘法大師空海が唐から持ち帰ったお茶の種を貰い請け、この辺りでその種を植えましたので、ここが大和茶の発祥地とされています。
 仏隆寺の「モチヅキザクラ」

 昭和53年3月28日(火)仏隆寺のヤマザクラとして天然記念物に指定された桜は、その後、開花期に鑑定を受けた所、ヤマザクラとエゾヒガンの雑種で、ヒガンザクラの一品種、「モチヅキザクラ( Prunus Mochizukiana Nakai )」である事が判明しました。しかし、この桜は花柱に毛がなく、萼筒(がくつつ)の膨らみが円筒状楕円形をして長い等の特長があり、ヤマザクラの形質をもそなえている点では、学術上貴重な巨樹です。なお、樹高9m、幹周りが7.9m、根株から2mの所で大小11本に分岐し、分岐枝の最大は幹周り1.2mで四方に枝を拡げ、高さ16mを越え、推定樹齢900年、県下で最大最古の桜です。
 高城山(たかぎやま)の祠

 「仏隆寺」の石段の下から真っ直ぐ、林道を南へ約2キロ、上がって行くと、宇陀市赤埴と諸木野の境界に聳え立つのが「高城山(標高810m)」で、宇陀市で4番目に高い山です。古事記、日本書紀に記されている「神武天皇東征の伝承地、菟田の高城 」は、この地でないかと云われている山で、頂上から北に市内の山々(額井岳816m、香酔山799m、貝ヶ平山833m、鳥見山740m)はもちろんのこと、西に生駒・葛城金剛、南に大峯山の山上ヶ岳などの山々が一望され、また、山頂には写真の様な雨乞いの祠が建ち、毎年5月3日に、ここで「高城岳まつり」が開催され、登山者の安全祈願や豊作祈願が行われます。
 三郎岳(さぶろうだけ)から北西を見る

 なお、「高城山」から更に急な斜面を下りて上がって又下りて登ると、宇陀市で一番高い山「三郎岳(標高879m)」の頂上に至ります。宇陀市赤埴(あかばね)と室生との境界に位置し、北側にちょっと木立が繁り、視界を遮りますが、見晴らしは「高城山」よりも良く、西に音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳のバックに二上山、葛城、金剛が並び、東に聖峯「高見山」も見え、北東に青山高原の風力発電塔が並び建ち、また、急な崖道をロープや鎖を伝って、県道28号吉野室生寺針線のバス停「血原橋」の方へ下ると、途中に崖に刻まれた石仏があり、更に下ると、明開寺奥の院で、そこから「西の川」沿いの下山は緩やかな坂道です。
 伊勢本街道「諸木野関所跡」

 「三郎岳」から東へ下ると、伊勢本街道の石割峠ですが、バス停「血原橋」の方へ向わず、伊勢本街道を西へ向うと、林道を1.3キロ行って、諸木野(もろきの)集落に至り、そのまま直進して杉木立の中を進むと、「諸木野関所跡」です。室町時代、1158年(長禄2年)奈良の興福寺大乗院によって設けられ、関所の代官は興福寺の僧侶が務め、室町時代の後半頃には廃止されたようですけど、伊勢本街道(榛原町の角柄〜諸木野石割峠)の約12キロの間に、角柄関、萩原関(井足関)、高井関、壱名関、下司名関、大久保名関があり、それぞれの荘園領主が経済政策の1つとして関税を取り、当時の旅人を悩ましていました。
 天然記念物「高井の千本杉」

 なお、「関所跡」から杉木立の「伊勢本街道」を西へ向うと、赤埴甲区公民館に至り、その直ぐ街道脇に「高井の千本杉」が植わっています。約1m四方の古井戸(今は空井戸)の周囲に数本の蜜植された杉が成長するにつれて株元が癒着した蓮理材形式のもので、地上約1m位から16本の枝幹が数えられ、各枝幹は大・小不同ですが、空井戸を取り巻く主幹を最大として、東南側が径55cm〜80cmで、全体として目通り約25m、樹高約30m、枝張りは東西南北共に22mに達し、樹齢は主幹が推定600年で、井戸杉として県下で最大最古です。また、「千本杉」から西へ下ると、国道369号線のバス停「赤埴口」です。




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