「大淀町」  その2
 泉徳寺の「今木権現堂山門」

 なお「泉徳寺」の本堂は、1615年(元和元年)焼失後の再建で、更に1657年(明暦3年)再興され、昭和52年改築し、梵鐘に「権現応跡小角草創洪基歳 再興至維時明暦三年本願雄」と記され、また、山門を出て10m、東山麓の石段を上がった所に3間に1.5間の重層瓦葺の「今木権現堂山門」があり、下層左右に町指定有形文化財の木造「金剛力士像」が立ち、上層に天狗像を安置していますが、これらは、1595年(文禄4年)泉州堺の大寺の天狗が仁王さんをくわえて一夜のうちに飛来したもので、平成2年の改修で、口を開けた仁王阿形像の胎内から「明暦2年国見大和之藤原重士作」の墨書が見つかりました。
 今木権現堂の町文化「石仏群」

 「仁王門」をくぐって入ると、左手の斜面に多数の花崗岩製「石仏」があり、一枚石に上から「天女・不動明王・大日如来」の3体を彫ったものや、大和にはない備中式の「道祖神」が並んでいます。なお、参道を進むと、2間に2間半の入母屋造の「権現堂」が建ち、堂内に写真の様な石仏が並び、中央は、県下唯一の石仏「蔵王権現像」で、また、向かって左が前鬼後鬼を従えた「役行者像」、右が二匹の竜を交叉線彫りにした「竜神像」です。いずれも半肉浮彫の石像で、室町時代後期「永禄12年(1569年)3月11日備中国境目東定久女人本願」の陰刻があります。これら権現堂内外の石仏群はいずれも町指定文化財です。
 一面に梨畑の「大阿太高原」

 なお、「今木権現堂」では、毎年4月11日会式の「権現祭」が行われ、護摩供餅撒等で賑わいますが、古くは、全国各地の修験者が集まり、山門の金剛力士像に参拝し、旅の安全を祈願したと云われています。また、石段を下りた所の旧道は、中世において、御所の「吉祥草寺」、「巨勢寺」から「泉徳寺」を経て、大淀町の「石塚」へ至り、大峯へ入峯された修験者の通った街道で、「石塚」へは旧道を東へ行って、国道309号線から「車坂」を通って行きますが、旧道を東へちょっと行き、直ぐに右へ曲がって、ゴルフ場の「花吉野カンツリークラブ」を通って南へ抜けると、坂を上った所が「梨園」の続く「大阿太高原」です。
 「大和清九郎さん」の墓

 また、「今木権現堂」から国道309号線へ出て、東南へ向かい、バス停「今木大井手」前の今木郵便局辺りから北へ行くと、大淀西部幼稚園前を通り、奈良ロイヤルゴルフクラブ脇の「鉾立」を通って、突き当たった辺りの「光蓮寺」から徒歩約20分で、山中の「清九郎の墓」に至ります。1678年(延宝6年)高市郡矢田(今の高取町谷田)に生まれ、1750年(寛延3年)8月4日72歳で亡くなった清九郎は、毎日仏さんを拝んで幸福になったけど、ある時、隣の次平が仏様を盗み、代わりに鰯の頭を置きましたが、それでも清九郎さんは、毎日鰯の頭を拝んでお金が溜まり、大金持ちの長者になった諺の出所の偉人です。




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