「大和三山」と「長寿道」の辺り  その5

 国特別史跡「本薬師寺東塔跡」

 近鉄橿原線「畝傍御陵前駅」東出口から東へ向い、国道169号線を渡って400m行くと、右側に「本薬師寺跡」があります。680年(天武9年)10月11日天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建立されたけど、実際に工事が始まったのは持統朝になってからで、698年(文武2年)頃に竣工し、藤原京時代は、大官大寺豊浦寺飛鳥寺川原寺と共に飛鳥五大寺で、寺域は藤原京内の右京八条三坊を占めたが、平城遷都で、718年(養老2年)平城京右京六条二坊に遷され、なお、旧寺は「本薬師寺」と呼ばれ、平安時代まで存続し、金堂跡に方形の柱座を持つ大きな礎石と、東塔跡にも礎石が残っています。
 綏靖(すいぜい)天皇陵

 「本薬師寺跡」の南側は、ホテイアオイが自生し、夏7月頃、淡青紫色の花が水上に群がって咲きます。また、「本薬師寺跡」から西へ戻り、踏切を渡って、橿原神宮外参道を北上し、バス停「農業試験場前」を過ぎてから直ぐ左(西)へ入ると、第2代綏靖天皇の桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)塚山古墳があります。古事記によると綏靖天皇は、別名を神沼河耳命(かむぬなかはみみノみこと)と言って、神武天皇の第三子、母は、三輪の大物主神(おおものぬしノかみ)の娘、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)命。また、天皇は、葛城の高岡の宮に坐(いま)して、45歳で亡くなりました。
今井まちなみ交流センター華甍(TEL 0744-24-8719)

 「綏靖天皇陵」から更に北へ行き、国道24号線を渡ると、「四条町」の次が「今井町」で、江戸時代の伝統的建造物群が今も残っている今井町の東に建っているのが洋風の建物の華甍(はないらか)です。明治36年建築の県文化財「旧高市郡教育博物館」で、館内に「今井町」の歴史を知ることができる資料を多数展示し、また、町内の町並みがよく判る立体模型も置かれ、地図付きパンフレットも用意されているので、「今井町」の散策をされる前に立ち寄ると便利です。なお、直接「今井町」へ来られる場合は、近鉄橿原線「八木西口駅」か、JR桜井線の「畝傍駅」から西へ行き、飛鳥川の「蘇武(そぶ)橋」を渡って来ます。




奈良観光表紙に戻る  「大和三山」と「長寿道」の辺り地図を開く  前のページに戻る   次のページに進む