漆部(ぬるべ)の郷「曽爾村」  その2

 天狗柱岩(てんぐばしらいわ)

 バス停「紅葉谷」を過ぎると、道路脇に写真の様な「天狗柱岩」がそそり立っています。なお、香落渓の「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」は、室生火山群の活動で地下のマントル上部にある岩石が高温で溶けて、溶融状態になった造岩物質(マグマ)で、それが固結冷却に伴う体積の収縮によって、「青蓮寺川」の両岸に生じた多角形(通常は、六角形)柱状の割れ目です。斧でばっさりと断(た)ち割った様な岸壁の前に立つと、その見事なまでの自然造形美に圧倒され、自然の偉大さを十分すぎるほど堪能させてくれます。また、この辺り「青蓮寺川」沿いには、「沖天岩」「下経塚」「上経塚」「算盤滝」等もあり、奇岩、奇勝の岸壁が「県道81号名張曽爾線」に延々と続きます。
 八幡長者(はちまんちょうじゃ)屋敷跡

 「天狗柱磐」を過ぎて、更に「青蓮寺川」沿いに南へ「室生赤目青山国定公園」の「香落渓園地」を進むと、川の対岸の森林が「八幡長者屋敷跡」と云われる「八幡山」です。今から約750年前、鎌倉時代の中頃、伊賀の国一ノ井村に道観(どうかん)と云う裕福な長者が住んでいました。彼は、大きな館に住んで、毎日毎日歌舞管弦(かぶかんげん)を楽しんでいましたが、ある時、長男、次男、妻が相ついで床に伏し、驚いた道観は、仏心が大いに働いて、その結果、奈良二月堂の大修建行に香落渓「八幡山」より切り出した巨材を寄進し、一の井の館を棄て、香落渓「八幡山」に隠棲して、それから「八幡長者」と云われました。
 小太郎岩(標高702m)

 県道81号名張曽爾線が「奧香落渓谷」に入ると、バス停「小太郎岩」の右(東)岸に幅が約700m、高さ約200mの大絶壁をなす「小太郎(こたろう)岩」があります。昔、道観という長者に「小太郎」と云う息子がおって、彼が継ぐことになっていた財産を義母の「お龍」が狙い、「小太郎」をこの崖から落とそうとしましたら、誤って「お龍」自らが転落した所です。また、近くに「論山(ろんざん)」と云う山があり、昔、大和の殿様と、伊賀の殿様が国境のことで三日三晩、大声を張り上げて大激論を交わした山で、「青蓮寺川に流れ込む布引川を国境に定むるべし」と云う天狗の一言で決着した話が今も伝わっています。
 天王神社の「天王杉」と藁葺の「公衆トイレ」

 また、「青蓮寺川」に沿って「県道81号名張曽爾線」を南へ向かうと、やがてバス停「太良路」です。バス停の前の県道を真っ二つに分断して石垣があり、そこに曽爾村で最大の大杉、曽爾村指定の天然記念物「天王杉(てんのうすぎ)」が植わってます。高さ約30m、周囲は約6mあり、また、県道を渡った所に「天王神社」が鎮座しています。なお、曽爾を「漆部(ぬるべ)の里」と云うのは、昔、倭武皇子(やまとたけるノみこ)が漆の木汁を塗った矢で猪を仕留め、その木汁を木の椀に塗ると、黒い光沢を放って美しく染まったので、それから曽爾の郷に「漆部造(ぬりべノみやっこ)」が置かれたことに由来しております。
 かずらはし(吊橋)

 更に南へ行くと、バス停「葛(くず)」で曽爾村を東西に横切るように「東海自然歩道」が通っていますが、直ぐ左(東)下を流れる一級河川が「青蓮寺川」で、そこに架かっている吊橋が「かずらはし」です。ここから東に見える「曽爾高原」へ「東海自然歩道」を通って上がって行く入口に架かる吊橋です。なお、車で「曽爾高原」へ行く場合には、1つ手前のバス停「太良路」から「青蓮寺川」の「太良路橋」を渡り、更に「太良路川」に沿ってなだらかな道を上がって行きます。また「青蓮寺川」では、アマゴや鮎が釣れ、3月第一日曜日「あまご釣り解禁」、6月夏初の頃にはホタルが舞い、7月第一日曜日「鮎釣り解禁」です。




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