高取  その1
 真言宗子嶋山「子嶋寺」の山門

 「キトラ古墳」から西へ約1.2キロ行くと、近鉄「壺阪山駅」で、途中に「子嶋寺」があり、駅からなら北東へ約500mです。760年(天平宝字4年)孝謙天皇の疾病を癒した報恩法師が国家鎮護のため建立し、1丈8尺(約5.5m)の「観自在菩薩像」と「四天王像」を安置、880年(元慶4年)清和天皇の病気平癒を祈願し、勅使が長谷寺など12寺を巡った時、当寺にも派遣され、983年(永観元年)興福寺から真興が来寺して真言宗子島流を起こした時は信徒も多く、本堂、影堂、三重塔など20余の堂塔が在ったが、今は本堂のみで、庫裏の建物は明治維新に旧高取城から移し、山門は旧高取城の「二ノ門」です。
 子嶋寺(TEL 0744-52-2074)

 寺宝としては、真興が一条天皇の病気平癒を祈願し全快した功により、空海が唐から持ち帰った日本三大曼荼羅の1つ、国宝「紺綾地金銀泥絵両界曼陀羅図」2幅を賜ったが、今は国重文「木造十一面観音立像」と共に奈良国立博物館に寄託し、そのレプリカが天井に届く程で堂内の左右にあります。なお、1007年(寛弘4年)左大臣藤原道長が壷阪寺へ参詣の折りに立ち寄り、その後戦国時代に衰微したけど、高取城主本多氏が祈願所にして再興し「千寿院」と称したが、幕末に賢応が来住して今の本堂を建立し「子島寺」に改め、境内は本堂に比べて狭いけど、石造不動尊に室町後期の天文24年(1555年)の銘が有ります。

 製薬の町「高取(たかとり)町」

 「子嶋寺」から真っ直ぐ西へ出て、国道169号線の1つ手前の道を南へ行って、高取町の繁華街へ入り西へ行くと近鉄吉野線壺阪山駅ですが、そのまま南へ行くと、足元の石畳の敷石は、神戸市内を走っていた旧市電の敷石で、阪神淡路大震災の時に土中から浮き上がったのを貰って来ました。また、石畳の旧街道を歩くと、やたらに「薬の看板」が目に付きますけど、旧高取藩の城下町、高取町は大和の薬の町でもあり、御所市、橿原市などと共に奈良県における製薬地帯の1つの中心地で、昔は「御免薬」として近畿は勿論、遠く北海道から、四国、九州までも高取から薬の行商販売がなされ、越中富山に次いで売薬が盛んでした。



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