水辺の「川西町」、「三宅町」から桃太郎の古里「田原本町」 辺り  その14
 多神社(TEL 07443-3-2155)

 田原本矢部の東側を流れる飛鳥川の上流(南)が、田原本町多(おお)で、川を渡った所に「多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社」が鎮座しています。祭神は神武天皇とその母(玉依姫)、息子兄弟の四柱で、「日本書紀」によると、兄の神八井耳(かむやいノみみノ)命が皇位を弟の神沼渟川(かむぬなかわノ)命に譲り、自らは天皇を言祝(ことほ)ぐ忌部(はふりべ)になって、天神地祗を祀ったのが始で、神八井耳命を始祖とする多氏(後の太氏)によって祀られ、中世には国民である十市氏に崇敬され、県文化の本殿は、東西に各一間社の春日造が四殿配祀の形式で、江戸時代中頃の建築様式を残しています。
 太安万侶を祀る「小杜神社」

 「多神社」の南に、「多神社」の摂社「小杜(こもり)神社」が鎮座しています。祭神は「古事記」の選録にあたった「太安万侶(おおノやすまろ)」、彼は多臣蒋敷(おおノおみノこもしき)の孫で、父が壬申の乱で活躍した品治(ほむち)、古代の豪族であった多氏の領地は方六町を占め、四方に鳥居のあった「多神社」が鎮座している地域が多氏の本拠地で、安万侶の時に氏の「多」を「太」の字に改め、なお、「小杜神社」の東方に小さな円墳が現在もあり、以前は太安万侶の墓と言われていたが、昭和54年1月奈良市此瀬(このせ)町の茶畑から平城京左京四条四坊に住んでいた従四位下勲五等太朝臣安萬侶の墓が発見されました。
 多神社摂社「皇子神命神社」

 「小杜神社」の西南で、鬱蒼とした森の脇に「多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社」の摂社で、旧村社の「皇子神命(みこノかみノみこと)神社」が鎮座しています。祭神は、皇子神命(みこノかみノみこと)です。なお、「延喜式」神名帳で十市(といち)郡(ごおり)大社(おおしゃ)の四皇子神の1つ「皇子神命神社」に比定され、俗に「若宮」と称されています。また、「五郡神社記」では、本社の二座と四皇子神を総称して「意富六所神社」と称し、「皇子神命神社」は、本社(多神社)のちょっと東に鎮座する「姫皇子命(ひめみこノみこと)神社」と伴に本社四殿の右殿(神沼河耳命)に祀られています。


奈良観光表紙に戻る  田原本町周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む