石仏の里「当尾(とうの)」  その9

 たかの坊地蔵

 「辻堂焼け仏」から浄瑠璃寺まで舗装されたバス道路沿いに、まだ石仏が在りますが、かなりの坂道なので本当は浄瑠璃寺から下りながら見る方が楽ですけど、ちょっとしんどい思いして、また「辻堂焼け仏」からそのまま民家の間を通って登って行くと、再びバス停「西小」に出くわしますが、この辺りは乗降自由で、手を挙げたらバスは止まって呉れますけど、なかなか来ないので更に登ると、道の右に「西小区公民館」が在り、そこの前庭に「たかの坊地蔵」が立ってます。小さな石仏群の中でひときわ立派な船形光背の地蔵尊で、鎌倉中期に彫られ、他の小石仏群は、室町時代に彫られてます。更に登ると左に「丁石」も在ります。

 西小墓地の無縁地蔵

 また、一汗かいて急なバス道路を登ると、道路の右側にずらりと梵字の石仏が約300体ほど立ち並び、「西小墓地無縁地蔵」です。それぞれ小石仏ですが、これ程まとまって並ばれると壮観で、圧倒されます。なお、更に隣にもかなり新しい墓石が立ち並んでますが、バス道路から上がる中央の階段脇に「五輪当」が建っています。この塔は、当尾の石造文化財の中もで千日墓地の「十三石塔」と共にただ2つ重要文化財に指定されている塔です。但し、「岩船寺」境内に在る重文の石仏を除いた場合です。また、「西小墓地」を別れ際に振り返ると、七体のお地蔵さんが、それぞれこちらを向いて立ち並び、お見送りをして呉れます。

 長尾の阿弥陀如来

 更にバス道路を登ると、ちょっと車道がカーブした角に「長尾の阿弥陀如来座像」が頭の上に在ります。雨が降ってもいい様に、立派な屋根石をかざされて、美しい連弁(れんべん)の台座に座り、左右それぞれ人差し指と親指で丸を作って合わせ∞形にした定印を結んでおられます。目の下の道を車がひっきりなしに通りますが、1307年(徳治2年)4月29日から阿弥陀様は、ここで人々の往来を絶えず見てました。また、像の頭をかすめて斜めに割れ目が走っていますが、後の山から巨岩が続き、前も石をコンクリートで固めているので、もうこれ以上割れる心配はないそうです。なお、ここからバス道路を外れ右へ歩きます。

 浄瑠璃寺奧之院の「不動明王像」

 「長尾の阿弥陀如来座像」の背後から、山道へ分け入って、山を1つ約10分で越して行くと、赤谷川のせせらぎが聞こえて来ます。下にコンクリートの瀧が在り、その下流に架かっている丸太4本の橋を渡ると「浄瑠璃寺奧之院」で「不動明王立像」が在ります。元は、1296年(永仁4年)に磨崖陰刻の不動明王像が彫られていましたが、その岩が割れたので、後に丸彫りの不動明王像と、矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子の「不動三尊」を祀ってます。なお、赤田川の丸太の橋を渡って戻り、川沿いに先の「西小」の集落まで行けますが、左は谷なので足元のおぼつかないお方は、歩かない方がよいと思います。





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