柿と梅の里西吉野  その3

 北畠親房(きたばたけちかふさ)墓

 「皇居跡(堀家住宅)」の門前から北へ少し登ると五條高等学校賀名生分校で、分校の校舎を背にして、石碑「南朝三帝賀名生皇居之蹟」が建っていますが、ここは黒木(くろき)御所が造られた跡と伝え、元は華蔵(けぞう)院が建っていた跡でもあります。その前を右へ進むと、鳥居を前にして五輪塔が建ち、北畠親房の墓です。その昔、南朝方が機を見て京都へ戻ろうと図りましたが、それが果たせないまま1354年(正平9年)4月南朝方の柱とも云うべき正一位北畠親房が賀名生で亡くなり、五輪塔は後世に建てられた供養塔です。また、近くには「二百十人塚」もあり、南朝方の軍に従って亡くなった方を供養しています。
 「賀名生(あのう)梅林」

 五條高校「賀名生分校」の校庭から見える向の山が奈良三大梅林(月ヶ瀬、広橋と共に)の1つ「賀名生梅林」で、国道168号線のバス停「和田北口」から梅林迂回路一周5.5キロが巡り、右回りに登ると、「口の千本」「一目万本」「見返り千本」「東雲(しののめ)千本」「奧の千本」「西の千本」で、かなり急な傾斜面に約2万本の梅の樹海が広がっています。栽培起源は、はっきりしませんが、明治10年頃から果実の収穫を目的に栽培され、初期には北曽木(ほくそぎ)地区の畦畔(けいはん)や川岸、山腹等で植えられ、主として白梅でしたが、今は園地栽培で、開花期に白淡紅色の花が咲き、山全体に香りが漂います。

 向(むかい)賀名生の「春日神社」

 バス専用路(幻の五新線)バス停「賀名生皇居跡」から南へ辿ると、路線沿いに見事な「枝垂れ紅梅」が1本だけ植わった所を過ぎ、バス停「大日川(おおひかわ)」で、バス専用路を跨(また)ぐ危なっかしい陸橋を渡って、墓地を過ぎ、鳥居をくぐっても石段のない山肌をはう様にして登ると、思った以上に立派な「春日神社」が鎮座しています。本殿は、国重文で、一間社春日造檜皮葺ですが創立沿革は明らかでなく、社殿の建立年代も不詳ですが、様式手法から室町時代末期頃の建立と考えられ、正面と両側面にはそれぞれ中央に蟇股(かえるまた)を置き、背面の梁(はり)上に大瓶束(たいへいづか)を立て、見事な社です。




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