柿と梅の里西吉野  その2

 幻の五新鉄道と「フルーツロード」

 「一の木ダム」から南東へ行くと、約1キロ過ぎた辺りに、下市町と五條市西吉野町を結ぶ五條吉野広域農道が、通称「フルーツロード」と呼ばれています。昭和48年に建設事業が始まって、平成11年8月に全線開通した基幹農道で、道に橋やトンネルがあって変化に富み、周辺の景観は、柿、梨、梅、ブドウ等の果樹園が拡がっていますけど、下市町から入った突き当たりには「産廃富士」が勇姿を見せ、NHKの産廃問題特集でも取り上げられました。でも、農作業から果実等の出荷まで、営農の効率化が一段と進み、農業経営安定化と地域活性化のための基盤が確立されて、「フルーツロード」は地域に大いに貢献しています。
 「堀家住宅」と「幻の五新鉄道」

 「フルーツロード」から国道168号線へ出て、南へ行き、バス停「賀名生和田北口」、又は、五條からバス専用道(幻の五新鉄道)を南へ行き、バス停「賀名生皇居跡」で下りると、丹生川の崖っぷちに「賀名生皇居(堀家住宅)」があります。1336年(延元元年)12月21日後醍醐天皇が京都花山院を脱出して、23日阿那宇(あのう)到着、堀家を皇居とし、28日吉野山へ潜行になりました。後に、1348年(正平3年)高師直が吉野山を攻めた時、後村上天皇が吉野山から逃れ、9月頃に賀名生の皇居に入られました。なお、地名の賀名生(あのう)は、南朝の思いが「叶(かな)う」ようにが訛ったものだそうです。

 国重文「賀名生皇居跡」

 稀有の遺構を有する賀名生皇居跡(堀家住宅)は、藁葺門に天誅組吉村寅太郎が書いた「賀名生皇居」の扁額を掲げています。門を入ると、縁側には楠木正行(くすのきまさつら)の陣鐘が置かれ、その他、堀家には、天皇方の軍の標章にされた日本最古の日章旗、縦96cm、横71cmの日の丸、三社神御旗、鷹羽印籏、笛、駅鈴などが残っています。なお、見学は、2月〜3月上旬、11月1日〜11月8日、往復葉書で〒637−0116奈良県五條市西吉野町和田48堀元夫様へ申し込むと、見学料1人300円で見せて頂けますが、小学生以下と突然の見学強要は、今も当家が住宅として使用されているので、ご遠慮下さい。




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