山背(やましろ)古道  その7

 木津川市山城の「茶問屋ストリート」

 「泉橋寺」から「山背古道」を西へ向うと、右側に「円成寺」があり、更に西へ行って、北へ折れると、木津川市山城の「茶問屋ストリート」です。ここ上狛地区には、江戸時代以降に建てられた多くの茶問屋があり、昭和32年末には、町内の茶業者数が28で、当時の町の全工場数56の実に半数を占めていたが、今は茶問屋の数も少なくなっています。それでもこの付近を歩くと、ほのかにお茶の香りが漂って、お茶の町・山城を感じます。なお、山城がお茶の産地と共に加工・流通の中心地になったのは、町を流れる木津川から淀川を経て「神戸」へと繋がる流通の水路があったからで、昔は山城を「東神戸」と呼んでいました。
 上狛(かみこま)環濠集落

 山背古道の「茶問屋ストリート」を抜け出て、国道24号線を横切ると「浦の川」に架かる橋に至るが、この「浦の川」がかっての「環濠」で、ここ木津川市山城町上狛の通称「大里」は、中世以来、周囲を堀で囲まれ、長径約600m、短径約300mの楕円形をした環濠集落でした。また、上狛の地は、室町時代、興福寺領狛野荘を中心に構成され、大里は、狛野荘の南之荘の中心集落で、村と畑を堀によって仕切、堀の内に土塁を築き、竹藪や雑木林を連ね、その中に家々があり、人々は、郷とか垣内(かいと)と呼ばれる単位で共同生活を営み、その単位は現在も生きていて、「角垣内」等の7つの郷名が通称名になっています。
 国史跡「高麗寺(こまでら)跡」

 「上狛の環濠」であった小川に沿って、東へ辿り、JR奈良線よりも更に東へ2キロ行くと、国道163号線の2つ北側の道沿いに「高麗寺跡」があります。7世紀初頭、飛鳥時代に創建された我が国最古の仏教寺院の1つで、この地がかっての相楽郡大狛郷に属することから、朝鮮三国の1つ高句麗(こうくり)から渡来した狛氏(こまし)との関わりが指摘され、飛鳥時代から平安時代まで存在した事が「日本霊異記」に載っています。伽藍は、木津川を見下ろす台地に南面し、西に金堂、東に塔をもつ法起寺式で、講堂から回廊が両翼に延び、寺域は東西に約200m、南北に約190mあり、塔跡の礎石は、横穴式の舎利孔です。




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