融通念仏宗の郷「安堵町」  その5

 「大和川」へ合流する「寺川」

 「馬場橋」から両岸に葦の繁る「大和川」に沿って西へ下ると「大和川」へ南から「寺川」が流れ込み、更に下流の「太子橋」を過ぎると、また「大和川」へ南から「飛鳥川」が流れ込んでいます。なお、この辺り、堤防上の道路に沿って盛土をされた所は、「窪田第2種側帯」で、洪水時等の緊急対策に対処するために必要な土砂が確保されています。また、「大和川」の対岸「川西町」の樹木が石灰をまぶしたように白くなっていますが、それは「川鵜」の糞がこびり付いたもので、夕方「大和川」の下流「亀ノ瀬」の辺りに夕日が沈む頃、ここを塒(ねぐら)にしている数百羽の真っ黒な「川鵜」が、賑やかに帰って来て休みます。
 杵築(きつき)神社

 「大和川」の堤防上の道を「太子橋」の所から少し西へ行って、南側の集落へ下ると、安堵町窪田にまた別の「杵築神社」が鎮座しています。境内に「七重ノ石塔」があった「杵築神社」が、窪田424番地で、こちらは、窪田1127番地です。当社は、元「牛頭天王須賀(ごずてんのうすが)神社」と称し、旧社格は村社で、創祀の由緒は不明です。本殿は、春日造の一間社で、石檀の上に五垣を巡らしています。なお、祭神はやはり、天照大御神の弟、出雲の斐伊川(ひいかわ)で八俣(やまた)の大蛇(おろち)を退治した素盞鳴命です。また、境内に「地蔵立像」を安置する堂があって、鳥居の後ろに「宝筐印塔」もあります。
 「御霊(ごりょう)神社」

 「杵築神社」から真っ直ぐ西へ、「平楽寺」の前を過ぎて左へ曲がると、また「大和川」の堤防上の道、車に十分注意して右に「塵芥処理場」の煙突を見ながら西へ向かい、「御幸橋」の所から「富雄川」沿いに北上すると、右側に「御霊神社」が鎮座しています。由緒も祭神も不明ですが、一説によると、津速彦霊命(すはやひこノみたまノみこと)とも云われ、本殿は春日造一間社です。以前は「牛頭天王」を祭神とし、「大和川」に流れ込む「富雄川」の治水を司るための「水神」を奉祀したとかで、境内の末社に水神を祭る「龍神社」があります。境内を出て北上し「弋鳥(いとり)橋」を渡ると、「JR法隆寺駅」は直ぐです。




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