飛鳥  その1
 飛鳥の欽明(きんめい)天皇陵

 近鉄吉野線・飛鳥駅前の高取川を渡り北へ400m行くと、北東にこん盛りした丘陵が見えます。前方を西に向け、全長138mの前方後円墳、第29代欽明天皇檜隈坂合陵(ひのくまさかあいノみささぎ)で、欽明天皇は、第26代継体(けいたい)天皇第3皇子と伝えられ、即位は531年と539年の2説が有り539年までは、対立していた異母兄弟の安閑(あんかん)、宣化(せんか)天皇が並立していたと云われています。また、欽明天皇陵の南西に在る小さな森が第35代皇極(重祚し第37代斉明天皇、天智、天武天皇の母)や、第36代孝徳天皇の母で、吉備姫王の檜隈墓(ひのくまぼ)で「猿石」が置かれています。
 吉備姫王墓の「猿石(さるいし)」

 吉備姫王墓は天皇陵の特長と見なされる八角形で、前面の册の中に4体(北から女性、山王権現、法師、男性)の石像「猿石」が置かれています。法師以外の3体はいずれも裏表に顔が彫られ、今昔物語に「石の鬼形」として載っていますが、何の為に彫られたのか今もって判らず、謎の石像です。しかし、よく似た石像は朝鮮にも在るので何か関係が有るのかも知れず。なお、これら4体の石像「猿石」は、江戸時代の中頃1702年(元禄15年)欽明天皇陵の南側、平田の池田から掘り出された物で、もう2体「猿石」が高取城跡二の門跡と、高取町観覚寺の光永寺に在ります。

 「鬼の爼(まないた)」

 「欽明天皇陵」の南側の道を東へ600m行くと、道の両側に大きな石造の「鬼の爼」と「鬼の雪隠」が在ります。これは大昔、奈良の御所(ごせ)辺りから 飛鳥の橘寺を通って談山神社の方へ行く旅人が飛鳥の平田に差し掛かると、霧が峰に住んでいた鬼が旅人を捕まえ、爼で料理をして食べた後、満腹になり雪隠でウンチをしたと云われています。しかし、本当は西へ 約15キロ程行った二上山から巨石を切り出し、欽明天皇の陪塚(ばいちょう)として使われていた横口式石槨(せつかく)の基底石と、蓋(ふた)石と云われています。なお、石は丁寧に加工され「鬼の爼」には楔(くさび)を打ち込んだ跡の他に亀裂も有ります。
 鬼のWC「雪隠(せっちん)」

 北側の「鬼の爼」から道を隔てて5mほど南へ下りた所に置かれているのが写真の様な「鬼の雪隠」で、雪隠はトイレ、便所の事を云い、特に茶室に付随した便所をその様に呼んでいましたが、元々は雪隠(せついん)と云い、大小便を我慢して、ついに漏れそうになり「雪隠(せついん)、雪隠(せついん)」と連呼しながら駆け込んだので、「雪隠(せついん)」の連声を「雪隠(せっちん)」と云う様になったそうで、なお、便所、雪隠の事を「御不浄」「隠所」「後架」「厠(かわや)」「東司(とうす)」「手水場(ちょうずば)」「憚(はばかり)」等とも云われました。また、WCは Water Closet の略語です。



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