高取  その5
 猿石(さるいし)

 「高取城趾」から北の「岡口門跡」の方へ下ると、途中の三叉路の辺り、「二の門」の所に「猿石」が置かれています。高さ1mほどの硬い花崗岩を用いて、自然石の原形をさほど変形することなく加工されて、裏と表の両面に2つの顔が表現されています。なお、元からここに無くて、1589年(天正17年)大和郡山藩主豊臣秀長の重臣・本多太郎左衛門が高取城に入り、その後太郎左衛門の嫡子半右衛門利朝が秀長の命令で郡山城の詰城として高取城を築く際に城の石垣として使用する為に「猿石」が麓からここまで運ばれて来たものと考えられ、又同様の「猿石」は、飛鳥の「檜隈墓」と高取町観覚寺の「光永寺」にあります。
 「一升坂(いっしょうざか)」辺りの石仏

 また、「猿石」の所からちょっと戻って、西へ下りると、高取城の「大手筋」で、途中、登るにはかなり険しい「一升坂」と云う所があります。なお、高取城を築く時、石垣用の石は、ほとんど橿原市鳥屋増田ケ池の辺りから運ばれて来ましたが、その際に人夫達がこの辺りまで大石を運び上げて来たけど、ここの坂が余りにも険しく、ここから上へどうしても運び上げることが出来ずに難儀をしておりましたら、築城奉行が「それでは、これから日に米を一升ずつ増すから、皆何とか元気を出して運んで呉れ」と云ったので、それからようやく大石も山上にまで運ばれたそうで、それ以来、この坂を「一升坂」と云うようになりました。



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