句碑の郷「東吉野村」  その3

 鳥見霊畤(とみノれいじ)伝承地

 「龍泉寺」から更に国道166号線を東へ行って、「新木津トンネル」へ入らず、右(南)側を通って、小さなトンネルを抜けたらバス停「木津峠」から右へ曲がって、長々と山道を登って行くと、山頂に「鳥見霊畤伝承地」があります。神武東征で大和を平定し、第一代の天皇として即位をされた後、報恩感謝のため霊畤(まつりノにわ)を建て、天神を祀って御先祖に大孝を述べられた所で、また、この地は昔「千畳敷」と呼ばれた「下小野榛原(しもつおのはりはら)」の「磐(くら)」で、祭祇(まつりノにわ)の跡です。更に「上小野榛原(かみつおのはりはら)」があり、そこは初代神武天皇の仮宿舎があった跡だそうです。
 「鳥見霊畤」と「山口誓子」

 「鳥見霊畤」には平成元年初夏、山口誓子が訪ね、当地に感嘆して、下記の句を吟じられ、同年秋11月3日(文化の日)句碑の除幕が盛大に行われました。

  日の神が 青嶺の平 照らします   誓子

なお、「山口誓子」は、明治34年京都市上京区岡崎福の川に生まれ、本名は新比古。7歳の7月外祖母と供に外祖父、樺太日日新聞社長のいる樺太に渡るが、16歳のとき京都に戻る。第三高等学校に入学して、号を「誓子」とし、「ホトトギス」初入選。東京帝大法学部卒、紺綬褒章を受賞、平成6年92歳で他界。
 聖峯「高見山(高倉山、標高1249m)」

 「鳥見霊畤」へ登る時、後ろを見たら気が付くけど前ばかり見ていたら気付かないのが奈良県と三重県の県境に聳える聖峯の「高見山」です。「鳥見霊畤」の展望台からは、木立が邪魔をしてよく見えませんが、下山時に真正面に見えます。神武東征の時、熊野から大和へ入る道筋として、櫛田川の上流より高見峠を越えて菟田下県(うたノしもつあがた)へ入ったという説(高見峠説)があり、「高見山」山頂に神武天皇の道案内をした八咫烏の高見明神を祀る「高角神社」が鎮座し、「高見山」は神聖なる水の恵の神として信仰され、伊勢からも大和からも望まれる霊山で、古代の山岳自然信仰の対象として崇拝されてきた名山です。
八咫烏賀茂建角命を祀る「高角(たかつの)神社」(*1)

 かっては高角山とも呼ばれた関西のマッターホルン「高見山」は、大台ケ原の「台」と、高見山の「高」を冠する「台高山脈」最北に位置して、大和と伊勢の境界に聳え、冬季の霧氷シーズン1月中旬〜2月末の土・日曜日に、近鉄大阪線「榛原駅」と、近鉄吉野線「大和上市駅」から奈良交通バス「霧氷号」が登山口まで直行し、ちょっとキツイけど初心者でも約3時間で登れて、途中に樹齢700年の「高見杉」が迎え、神代の昔神武天皇が上がって四方を見た「国見岩」、「息子岩」、藤原鎌足に縁のある「揺岩」、僧が笛を吹いたら大蛇が聞きに来た「笛吹岩」を見て、ブナの林を抜け出た頂上に「高角神社」が鎮座しています。




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(*1) この写真は、観光旅館「杉ヶ瀬(TEL 07464−2−0012)」さんご提供