句碑の郷「東吉野村」  その6

 白馬寺境内「水分神社」の「ケヤキの巨樹」

 「たかすみ温泉」から「平野川」沿い「県道28号吉野室生寺針線」を北へ約2.5キロさかのぼると、「滝野川」と「北谷」が合流し「平野川」になる所に「水分神社」が鎮座し、社の背後に村指定天然記念物「滝野のケヤキ」が植わっています。推定樹齢千年、地上1.3mの箇所で幹の直径6.5m、更に樹幹は約10mの高さで二岐に分かれ、樹高約32m、幹も枝も天に向かって真っ直ぐに延びているのは他に例を見ない立派な「ケヤキ」です。直ぐ裏に「滝野川」が流れているので、湿度が高く、何種類ものシダが着生しています。なお、白馬寺の境内に鎮座された「水分(みくまり)神社」の創建は、明らかでありません。
 白馬寺(はくばじ)

 「水分神社」の直横に曹洞宗、天冠山「白馬寺」があります。812年(弘仁3年)弘法大師空海が高見山で修行をしている時、ここの滝の方から金剛不動明王の霊光を感得し、更にここへ来て修行を続けると、ある日、不動明王が白馬に乗ってこの地に降り来て、天の玉石を滝に投げたので、滝名を「投石(なげし)の滝」と云い、滝の側に、弘法大師空海が修行の際に衣を掛けた樹齢千年の「衣掛けの杉」があり、なお、寺は往古、真言宗で「清水寺」と云っていましたが、937年(承平7年)吉野金峯山寺の僧真理によって「白馬寺」と改称され、又、1738年(元文3年)京都洛北の弘宗が、40余日の修行で再建しました。
 「白馬寺」境内の「投石(なげし)の滝」

 「白馬寺」から「滝野川」沿いに徒歩5分行くと、「投石(なげし)の滝」があります。落差15mで、幾万年太古の大昔、天地が開闢(かいびゃく)の時に発生してより雨来不尽(うらいふじん)の勢いあり、今尚上に白龍を仰ぎ、水雲は茫々(ぼうぼう)として昼猶闇(ひるなおくら)し、また、岩下の澗水(かんすい)は常に怒濤(どとう)の音響(おとびき)高く青龍淵に踊って風涼(かぜすず)やかなり、812年(弘仁3年)5月28日弘法大師の空海が室生山より来錫峻峰(らいしゃくしゅんぽう)高見山に登りて、護国利生の護摩法を修す時、不思議な大光明当山の霊瀧より発する中に「金剛不動明王」の出現があって、瑞気(ずいき)限りなし、弘法大師空海大いに霊感を受けられ、その後度々当瀧へ参籠し修法礼拝し給うに必ず「金剛像明王」の霊光を感得して、弘法大師空海修法の真徳は、歓天喜地の法楽を増し、五色の雲は、大空に靆(たい)き、忽(たちま)ち天人宝冠を頂き白馬に跨(またが)って、手中の玉石を霊瀧に投ず。




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