句碑の郷「東吉野村」  その15

 日本オオカミの像

 東吉野村大字小(おむら)の辺りで西へ流れていた「高見川」は、大字小川に入って南へ流れ、川に沿って「県道16号吉野東吉野線」のバス停「千代橋」の少し南に「日本オオカミの像」が立っています。明治38年日本で最後の若雄のニホンオオカミが東吉野村で捕らえられ、それを英国より派遣された東亜動物学探検隊員の米人マルコム・アンダーソンが東吉野村鷲家口の宿屋芳月楼(ほうげつろう)で地元の猟師から8円50銭で買い取りました。現在そのオオカミは、大英博物館で標本にされて「採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ」と記載されています。なお、常時展示をしていませんが、渡英して頼んだら見せて呉れます。
 小川城跡(春戸城趾)

 「ニホンオオカミの像」が立つ所から「県道16号吉野東吉野線」「高見川」を夾んで対岸に聳える山が「ハルトヤ峰(海抜400m)」で、小川城趾(ハルトヤ城趾)です。この辺りは、昔から小川谷小川郷と呼ばれ、歴史は古く地元の豪族小川氏が南北朝の戦乱時代から織田、豊臣の安土桃山時代に至るまでの間、およそ250年、数代に渡って支配して来た土地柄でその居城が川向こうの山頂にありました。なお、城域は、約3600平方米にも達し、今も当時を偲ばせる遺構が保たれて、城跡に往時の小川氏を追慕して顕彰碑が建てられています。また、山頂までは、八丁(約1000m)で、表道に石畳および道標があります。
 興禅寺の重文「薬師如来座像」(*1)

 「日本狼の像」から高見川沿いに県道16号吉野東吉野線を下流へ約2キロ行くと、バス停「上中黒」を過ぎた右(山)側に、曹洞宗、白雲山「興禅寺(こうぜんじ)」があります。元は真言宗の寺院でしたが、1700年頃(元禄年代)興聖寺(こうしょうじ、京都府宇治市)の梅峯竺信により改宗されたと云われ、本尊は、平安時代中期作の藤原仏の秀作で、大正9年4月15日国重文に指定された「薬師如来座像」で、像高1.5m、桧の寄木造、左写真の様に堂々とした姿を保ち、ゆったりとした像体で、円満な表情をされています。なお、「興禅寺」には、その他にも平安時代の初期に造られた「仏像頭胸部」等が残っています。




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(*1) この写真は、観光旅館「杉ヶ瀬(TEL 07464−2−0012)」さんご提供