句碑の郷「東吉野村」  その14

 東吉野村民俗資料館(TEL 07464-2-0441)

 また、「石鼎庵」から更に西へ行くと、昭和58年旧小川第二小学校の旧校舎を使って開設した「東吉野村民俗資料館」があります。開館時間は、9:00〜17:00で、年末年始の12月28日〜1月4日が休館です。館内には、東吉野村の故・坪井貞幸先生が地元の人々のご協力によって収集された約530点の民具が収蔵され、村の風土によって育まれた祖先からの風俗習慣や生活様式を示す懐かしい民具、農機具、生活用品を展示しています。なお、訪れる人々に郷愁を呼び起こす「東吉野村資料館」は、東吉野村小原にあり、近鉄大阪線「榛原駅」からバス菟田野で乗継、「大又」行乗車、バス停「小村大橋」下車すぐです。
 史蹟顕彰の「魚見石」(*1)

 「民俗資料館」から「高見川」に沿って更に西へ行くと、道路の左脇に石碑「魚見石」が建っています。初代神武天皇が東征の砌(みぎり)、大和平定の成否を問う為、嚴瓮(いつべ)を「丹生川上神社」神域の「夢淵」へ沈めたら、やがて吉兆があらわれて魚が木の葉の如くに浮いて酔い流れ、その様を臣(おみ)の椎根津彦(しいねつひこ)が見届け、尊い神助の瑞祥を得ましたが、そのとき水面に浮いて流れた魚がアユで、それから魚偏に占を鮎(あゆ)と云い、この伝承に基づき、昭和12年5月史蹟顕彰の石碑「魚見石」が建立されたが、碑は3度の禍を蒙り、川筋の景観が一変した後、小(おむら)の高所に移されています。
 宝泉寺(TEL 0746-42-0213)

 「魚見石」の史蹟顕彰碑の建つ所から「高見川」に沿って更に西へ辿ると、途中バス道路の右側、山際に「天誅義士墓所(明治谷墓所)」があり、明治維新の魁(かい)、天誅義士9名が永眠しています。なお、一見すれば、徒労に終わっただけの暴挙と見られがちな天誅組の行動ですが、彼等の精神は、5年後の明治維新で実を結び、立派に受け継がれました。しかし、明治維新を待つこと無く、東吉野村で無念の最後を遂げた天誅組の面々は、鷲家地区では「龍泉寺」の「湯ノ谷墓地」に、小川地区では「明治谷墓地」に埋葬され、「宝泉寺」で幕府軍の彦根藩士と供に、それぞれ村の人々の暖かい手によって今でも供養されています。




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(*1)魚見石の写真は、観光旅館「杉ヶ瀬(TEL 07464−2−0012)」さんご提供