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「巨勢寺」の子院「正福寺(しょうふくじ)」
「巨勢(こせ)の春」を詠った歌では、春日蔵首老(かすがノくらびとおゆ)の歌が万葉集にあります。
河上(かわノうへ)の つらつら椿 つらつらに
見れども飽かず 巨勢の春野は 巻1−56
なお、春日蔵首老は、元「弁基」と云う僧侶で、飛鳥時代の701年に遷俗しています。また、「曽我川」の所まで戻って、南へ行くと、古瀬(こせ)の集落に浄土真宗「正福寺(江戸時代迄は勝福寺)」があり、同寺に、かっての五重塔を描いた「巨勢寺」の伽藍図「和州葛上郡古瀬邑玉椿山図」が保管されています。 |
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椿の名所「阿吽寺(あおんじ)」
「正福寺」からまたちょっと南へ行き、右へ曲がって西へ行くと、国道を渡った「巨勢山」の崖の所に、また「巨勢寺」の支院だった真言宗「阿吽寺」があります。平安時代「曽我川(巨勢川)」が氾濫した時、里人が避難に窮していたら、阿吽法師なる者が来て、里人を救済しので、里人が法師を崇め「玉椿精舎」に請住せしめました。なお、「玉椿精舎」とは、「巨勢寺」のことで、その支院であった同寺の名を法師から頂いて「阿吽寺」とされました。その後、1362年(貞治元年)火災で全焼して、以来荒廃し、江戸時代初期に再建されましたが、その後も衰退を重ね、無住となり、明治13年有志が図って仮堂を建てました。 |
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「阿吽寺」の「万葉歌碑」
なお、仮堂が建てられた「阿吽寺」は、「正福寺」に預けられていた仏像を迎え、更に昭和64年4月に再建されて現在に至っていますが、この辺り一帯は、「巨勢山」で、本堂に向かって右側、境内の片隅に故犬養孝先生が揮毫(きごう)の万葉歌碑があります。
巨勢山の つらつら椿 つらつらに
見つつ思(しの)ばな 巨勢の春野を 巻1−54
この歌は、701年(大宝元年)秋9月、女帝の持統天皇が紀伊国へ御幸の際、「巨勢寺」に立ち寄られた時、坂門人足(さかとノひとたり)が詠った歌です。 |