宇陀市榛原から菟田野辺り  その3−0
 常盤(ときわ)御前の腰掛け石

 「宇太水分神社」から国道166号線を少し東へ向い、バス停「松井橋」の交差点から左へ行って、県道31号菟田野御杖線を又少し東へ行き、直ぐ左の細い道へ入ると、道の右(南)側にぽつんと、「常盤御前の腰掛け石」が置かれています。平治の乱(1159年12月26日)で源氏の棟梁左馬頭(さまノかみ)源義朝(みなもとノよしとも)が平清盛に敗れた為、翌年2月雪の降る日に幼い牛若丸を胸に抱いた常盤御前が、今若、乙若の手を引いて、伯父の住んでいた大和ノ国、宇陀郡(うだごおり)竜門(りゅうもん)に身を隠し、更に、竜門から菟田野の下芳野(しもほうの)へ逃げ延びる時、疲れ果て、腰を掛けた石です。
 惣社水分神社(TEL 0745-84-2428)

 「常盤御前の腰掛け石」から東へ行き、県道31号線へ出たら、そのまま「芳野川」に沿って「下芳野」から「上芳野」へ向うと、バス停「宮の原」の辺りに「惣社水分(そうしゃみくまり)神社」が鎮座しています。大和朝廷時代の飛鳥を中心に、四周の東方にある宇陀地方の水の守り神として、「芳野川」に創祀され、一郷(榛原町、大宇陀町、菟田野町)の惣社でもあり、宇陀水分三社(芳野、古市場、下井足)の上ノ宮で、祭神は天水分神、国水分神ら、他数柱。なお、毎年10月第3日曜の秋祭り「御渡祭」で、木造金銅装漆塗りの重文「鳳輦(ほうれん)神輿」が古市場に鎮座する「宇陀水分神社」まで時代行列と渡ります。
 史蹟「駒帰廃寺(伝安楽寺跡)」

 「惣社水分神社」からまた「県道31号榛原菟田野御杖線」を西へ戻り、バス停「松井橋」で左へ折れて「芳野川」を渡り、国道166号を南へ向い、バス停「宇賀志」で右へ折れて西へ行くと、宇陀市菟田野駒帰(こまき)の高台に「安楽寺(あんらくじ)廃寺跡」があります。廃寺跡は、多武峯「談山神社」伝の「宇陀旧事・写本」に書かれた「安楽寺、駒帰村本尊阿弥陀如来七堂伽藍あり」の記述からその存在が知られ、発掘調査で、昭和45年に瓦窯跡、昭和46年に金堂の跡と推定される西方の建物と、東方に所在するやや規模の小さい建物遺構が確認されて、奈良時代の仏教文化について知る貴重な遺跡と見られています。
 天国(あまくに)の井戸」

 「安楽寺廃寺跡」から更に西へ行くと、稲戸の集落で、道から少し北へそれた所に「八坂神社」が鎮座していますが、鳥居に向かって左側に「天国の井戸」があります。我が国最初の刀剣師と云われる「天国」がこの井戸から湧き出る霊水をもって数々の名刀、神鏡を鍛えたと伝えられています。なおまた、明治41年11月明治天皇が奈良に行幸され、陸軍特別大演習を耳成山で統監された時、宇陀郡町村長が刀を奉納する事を決議し、萩原の住人、池田重光に刀(小鳥丸)の製作を依頼すると、重光は、昔時「天国」の故事を慕い、斎戒沐浴し、この井戸の水で以て刀を力作し、名刀を得て、郡は直ちに奉納し嘉納の栄を賜りました。




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