宇陀市榛原から菟田野辺り  その5
 大宇陀町本郷の瀧桜「又兵衛桜

 「阿紀野神社」の前の「本郷川」は、源氏ホタルの幼虫が放流されていますが、本郷川を西へ1キロほど溯ると、大阪冬の陣、夏の陣で活躍した後藤又兵衛ゆかりの屋敷跡に「枝垂れ桜(樹齢300年)」があります。1615年(元和元年)5月8日大阪夏の陣で豊臣方が敗退し、後藤又兵衛は再挙兵の望み捨て難く戦場より逃れ落ち、紀州を廻って知人を頼りに、大和宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し、豊臣家の再興を待ったが、世は徳川の天下となって、又兵衛は僧になり「後藤」の姓を一時「水貝」と改めて暮らしました。又兵衛はここで亡くなって、字道辺寺にある薬師寺の境内に葬られ、そこに今もお墓もあります。
 「かぎろひの丘・万葉公園」

 なお、宇陀市本郷から東へ戻り、「阿紀神社」の東に見える小高い丘、また、バス停「大宇陀高校前」からなら西へ200m行くと、万葉植物の植栽や東屋が建ち、遊歩道もあって、692年(持統天皇6年)11月17日柿本人麻呂が軽皇子の狩のお供の際に、阿騎野で詠んだ万葉集巻1−48の歌碑が建っている「かぎろひの丘・万葉公園」です。はるかに万葉時代のロマンにひたることが出来、毎年旧暦11月17日早朝の4時から「かぎろひを観る会」が行われます。

 東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ
 見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
 「阿騎野・人麻呂公園」

 「かぎろひの丘・万葉公園」から南側へ下りると、「阿騎野・人麻呂公園」です。公園内に中山画伯の壁画「阿騎野の朝」をもとに製作された柿本人麻呂の騎馬像や復元された掘立柱の建物等が建っていますが、ここは、平成7年の発掘調査により、遺跡から掘立柱建物跡等が発掘され、この地に古代の狩(薬猟)場であった「阿騎野」の中心施設が置かれていた事が判明し、今は遺跡公園として保存されています。なお、故中山正實画伯作の壁画「阿騎野の朝」は、「かぎろひの丘・万葉公園」東側の丘の下にある国道166号線沿いの「宇陀市大宇陀地域事務所」の隣に建っている「中央公民館」に所蔵され、一般公開されています。


旧暦11月17日「かぎろひの丘・万葉公園」から観た「かぎろひ」の写真はこちら


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